真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2022/11/18)

あー、えー、ここのところブログの更新をしていなかった厭離です。何をしていたのかというと、またも文学フリマのための原稿を書いておりました(それだけではありませんが)。それで11月11日の文学フリマ東京37、今回も出ました。出店カテゴリは前回の評論・研究|アニメ・マンガ・ゲームから、小説|SFに変わりました。なぜそのカテゴリにしたのかというと、27000字ほどのSF短編小説を出したからです。内容についての説明は面倒なので気になる方は文フリのカタログを見て下さい。で、結果ですが……

一冊も売れずに爆死しました😂😂😂

本当に、一冊もです。知り合いの方に二冊はただで渡したんですが、売れたのは一冊もありません。自分でも驚きました。前回出した評論本(+小説)は目標には届かなくても爆死はせずにそこそこだったんですが、その結果があって今回も値段は安いしそれなりかなと思っていました。ですが、値段は関係ないのでした。ちなみに隣のサークルの方もほとんど売れていなかったようです。

あ、で、えー、なんでそのような結果になったかというと、もちろん僕の見通しが悪かったせいなのですが、どうもエンタメ小説というものが文フリにおいてあまり求められていないのではないかと思うのですね。商業でそういったものはいくらでもあるから、誰も素人の書いた小説なんかは読まないのではないかと思うのです。文フリ会場の第一展示場は主に純文学や短歌、第二展示場の二階は主に評論となっています(自分がいたのは第二展示場の一階です)。僕も第一展示場と第二展示場の二階に行ってみたんですが、人が多くてとても盛況な様子がうかがえました。それに比べて、第二展示場の一階は明らかに人が少なかったのです。この状況は一体なんだと思いました。純文学や短歌やあとエッセイにしても、共感をベースにしたアマチュアの需要というものがあると思っています(短歌ブームが来ていることもあります)。評論にしても需要の拡大は明らかで、商業にはない本が求められている状況があります。それに引き換えいわゆるエンタメ小説はどうでしょうか。世にあるエンタメ小説なんてのはネットにあふれ、いつでも好きにただで読めます。わざわざそんなものにお金を払って買う人がいるでしょうか。もちろん弊サークルは隙間産業として、エンタメ小説のカテゴリではあるものの商業にはないコンセプトで創作をしているつもりではあります。ですが同人ならではという、アマチュアによる創作物を求めるような方がエンタメ小説のカテゴリにはそもそもいらっしゃらなかったのでした。

なので、小説カテゴリでの出店は今回で一応は終わりです。次の春の文学フリマは、またカテゴリを移動して新刊を出すつもりでおります。

なお、私は今回『もえけん!!』という同人誌に寄稿させてもらっており、そちらの方は大変好評をいただいています。売れているほうの当方の文章が読みたい方はそちらをお読みになってください。では。

 

(2023/09/30)

アニメ映画『すずめの戸締まり』の円盤が9月20日に発売されたのでその日にさっそくブルーレイをレンタルして家で観ました。やっぱりそんなにいいわけではないけどまあいいんじゃないでしょうか。映画館で観たときよりはいいですね。私と新海誠の映画館での相性は悪くで映画館で見るといつもあんまり感激しないんですが、その後家でテレビで見るとまあ悪くないんじゃないかと思うという。『君の名は。』だけは映画館でもよかったけど。やっぱり家のテレビで見るほうが映像は綺麗なので映像のせいで許せるようになる部分はありますね。あと映画館というのは単純に音が大きいので私が新海の好きではないところが強調されるのかもしれません。
それで『すずめの戸締まり』ですが、最後の方の台詞を勘違いしていまして、「死にたくない」と言ったのはすずめではなく男のほうでした。私はすずめが「死なんか怖くないと」言っていたのに、自分が死ぬことを自覚できるようになったという意味の台詞だとは思うけど死にたくないと発するとは何事だ!彼岸に赴くとはそもそもが死に近づくということだろうが!それなくして一体何が達成できるんだ!と憤っていたんですが、勘違いでしたねはい。あと気になっていたのは茂木謙之介の批評(https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/suzume-tojimari-movie-review-2022-11)にあったことで廃墟と震災の被災地が同列に接続されているということと、あとはすずめの行程が平成流の天皇を模範しながらも新海は皇居の地下の古層に興味があるんじゃないかということです。あと村上春樹の『かえるくん、東京を救う』との関係で、あの話では震災と地下の闇に潜むものが関連づけられているのは確かなんですが、しかし闇との戦いは主人公が気を失っているときに無意識のうちに事が進むものです。ここでの震災は阪神・淡路大震災、また闇に潜むものはオウムによる地下鉄サリン事件を示唆するものでもあります。震災と闇に潜むものとの関連ははっきりとしたものではなく、だからこそその二つを結びつけるようにして小説の形で示唆することに意味があります。しかし新海誠は閉じ師という役割を登場させて闇の力を封じるという戯画化を行ってしまい、震災と直接に関連付けられるのです。あと一つ、すずめがかつて住んでいた家に向かうところ、このシーンの国道6号線福島第一原発周辺の風景は実際の風景とよく似ており、大変リアルに描かれています。ですがすずめが小さな地震があったことで車を降りて高台に行ったときに見る景色、その風景は国道6号線の風景とは違って現実には存在しないものなのです。周囲に高台はありませんし海は見えず、また原発も見えません。ここですずめは芹澤が言った言葉を受けて「ここが、きれい……」と言葉を濁し、そのあとに黒く塗りつぶされたノートのショットが挟まれます。実際にはない風景を作り上げてこのシーンを入れた新海の意図を図るのは難しく、私はそれをはっきりと指摘することができません。ですが『君の名は。』の冒頭における「夢の景色のように、ただひたすらに美しい眺めだった」という台詞に対する自己批判のようなものを感じるのも確かです。綺麗な風景を作り上げて捏造し、その下に黒く塗りつぶされたものを演出するという、ここはなかなか事情が込み入っています(もっと深く考察するべきかもしれませんが、原発との関連もあって大変なのでこの話はここで終わりにします)。まあ以上の点あって『すずめ』は積極的には評価できなかったんですが、再視聴したところ、まあいいんじゃないでしょうかという評価になりました。作家の樋口恭介は炎上した人に対してNice tryだったと褒めるべきということをおっしゃっていましたが、『すずめの戸締まり』はNice tryだったと言いたいように思います。これは批評の放棄でしょうが、私には結局よくわからない。他のことはわかりません。Nice tryだった。あと次はまた別方面にて新海誠はtryしてほしい。

(2023/09/14)

わたしは今まであまり漫画というものを読んでいなかったのですが、最近は度々ネカフェの快活クラブで漫画を読んでいます。快活は読み放題カフェという料金プランがありまして、それが安いことに気づいたこともあり、何回か行ってけっこう楽しみました。以下に昨日の感想をざっと書きます。

昨日はネットカフェに行ってまた漫画を読んでいたけど、ネカフェで読める漫画はだいたいこのくらいで読んだかなあ

やっぱり漫画、全然頭に入って来ないのよね。ガンツは1巻から何が起こっているかわからん 押見修造は台詞も少ないし読みやすすぎるんだよな。自分がすんなり読める漫画家って押見修造岩明均くらいな気がする

初めて漫画の最終兵器彼女読んだ。字が多すぎた。最後はアニメと違うっぽいけどよくわからなかった 有名なコピペの地球はもうだめですは編集されたものだったのね。人間っていいところをうまく編集するもんだなあと思った

最終兵器彼女はアニメ見たときあんな寒いところでファックできるわけねーだろと思ってそれがずっと気になってた 寒すぎてあれは大きくなりませんよあんなん

アニメのエルフェンリートはよかったんだなあと回顧。あのグロさは精神的にくるものがあるけど、あのオープニングとグロさのせいで聖性みたいのが生まれてる。漫画はどうなるのかわからないけど最後までアニメ作ってほしいなあ。

ルサンチマンを最後までちゃんと読む。エンジェルビーツがかなり影響受けてると思うけど、誰も指摘してないのかなあ

克・亜樹の『透明人間↑↓協定』惜しい漫画だった。さすがにここまでじらされると不快感のほうが勝ってしまうからいいから早くファックしてほしいと思った。ヒロインがかわいい。もっと作者に人間存在に降りていく意思(つまりは文学的なもの)があればいい作品になれたと思うのに残念だなあと。押見修造くらいの情念がほしい。

大塚英志の「アトムの命題」なる概念があって(本は読んでない)、漫画は死を描けるかみたいな話がいわれているらしいけど、それなら同様に性についてはどうなんですかね。ノベルゲーの場合は一人称視点を取ることもあってエロは必然的にポルノ化せざるを得ないと思うんだよね。でも漫画ならポルノには陥らない範囲で、漫画独特の描写もできるんじゃないかと考えた。エロ漫画ではないエロ描写に可能性があるんじゃないかと。

(2023/08/03)

昨日は長岡花火のために親戚が家に来たので私は避難し、ネットカフェにて一夜をすごしました。

その前に今月はバーミヤンのクーポンが出ていたのでバーミヤンに入りました。中華丼。これは前に食べた天津チャーハンのほうがおいしいですね。

山本さほさんの漫画『岡崎に捧ぐ』を読む。山本さほさんは最近小説家の小川哲さんとの結婚を発表されました。

花火とネカフェといえば2018年に諏訪湖花火に向かい、現地に着いたとたんにバイクがエンコして動かなくなり、背後で花火があがるなかエラーの原因をネットで検索し、結局なおらないので大変みじめな気持ちでネットカフェに向かった事件が思い出されます。まあ今ではそれもいい経験ですが。

映画『君たちはどう生きるか』感想

ネタばれ防止のため、関係のない文章をコピペします。

ヒューマニズムに根差した良い本は、
時代を超えて人々の心をつかむのです」
(ジャーナリスト/池上彰さん)
1937年に出版されて以来、数多くの人に読み継がれてきた、
吉野源三郎さんの名作「君たちはどう生きるか」。
今回前書きを書いてくださった池上さんも、
小学生時代に、父親から渡された当初は
読もうとしなかったのですが、気がつくと夢中になって
どんどん読み進んでいたと言います。
人間としてどう生きればいいのか、楽しく読んでいるうちに
自然と考えるように書かれた本書は、子供はもちろん
多くの大人たちにも共感をもって迎えられてきました。
勇気、いじめ、貧困、格差、教養、、、
昔も今も変わらない人生のテーマに真摯に向き合う
主人公のコペル君と叔父さん。
二人の姿勢には、数多くの生き方の指針となる言葉が示されています。
活字も大きくなった読みやすい新装版で、
ぜひ、色褪せない名作の面白さを堪能してください。
《全国学図書館協議会選定図書》

 

異様なムービーであった。
千と千尋以降の宮崎駿では妙に幻想的なヴィジョンが出るようになっていたが、その総出という感じ。
冒頭、真人は母親のところに向かうがその場面を詳しく描いたりせず、駿は一切の感傷をぶった切る。しかし後の場面にて真人の夢の中の話として描く。ついにマザコンとされる宮崎駿が母親を探しにいく物語を作ったのかと、また幼いころの駿が戦時中に道行く人を助けられなかったというエピソードも思い出し、わたしは涙が出た。
だが……
話はなぜか夏子さんが消え、真人が夏子さんを追いかける形になった。その過程で少女時代の母と出会うのだが、母を求める話かと思いきやなぜ夏子さんを追うのか、わたしにはうまく把握することができない。
さらに真人はなぜか夏子さんの出産の場面に入り、そこに案内するのは少女時代の母である。どういうことなんだ。少女が真人の母であることがわかるが、千と千尋でもハクの正体が明かされるところにしても、ななんだってー感があったと思うが、こちらは実にあっさりしている。
溶けていく母の姿はイザナミで、ラストの少女はコノハナサクヤヒメで火の中で出産するという話なのかな。しかし駿はまったく感傷を描くことを許していない。最後の扉に飛び込むところ十人中十人の監督は泣けるように感動的に演出するであろうところ、駿は実にあっさりと切断する。結局のところ駿は一切の感傷を許さなかった。
大叔父の話で「悪意」と言われていたと思うが、おそらくあのインコの群れは軍需産業に従事している人たちで、戦争もまた同様の小さな悪意が引き起こしているということなのだろう。
さらに継承の話が出てくる。大叔父はなぜ後継者を探していたのだろう。たしかに駿自身の姿に重なるが、超絶的な存在にも思える。村上春樹『街とその不確かな壁』の微ネタばれになるけど、そこにも後継者の話があったりする。

ジブリの過去作に似ているという感想もあるが、空に上っていく小さなあれとか、幻想世界の夏子さんの出産の部屋、大叔父の積み木、ドアの続いている部屋、と今までの駿にはなかったイメージが出てきているようにも思う。絵のヴィジョンだけなら空に昇るあれはコダマを思い起こさせるが、「これから生まれる子供になる」みたいに言われていて、はっきりと言ってしまうんだなという。ドアが続く部屋には現世と来世の中間のイメージがそのまま表れていて、それも妙な感じだ。鳥ばかりが出てくるのも、現世と来世をつなぐ象徴なんだろうなと。
ポニョのように神話的な壮大なイメージが表れているわけでもなく、また新海誠のように「古層」を暗示するわけでもなく、異様なヴィジョンがそのままに表れている。現世に戻ったあとすぐに忘れてしまっている千と千尋に対し、君生きでは持ってきた石のおかげで記憶はあるが、アオサギは徐々に忘れていくだろうみたいなことを言っていた。今作は駿が忘れたものの詰め合わせがごちゃごちゃに混ぜ合わされてそのまま出てきたんだなと。今作はわたしたちが期待していた駿の説教ではなく、『君たちはどう生きるか』の小説はそのまま「君たちはどう生きるか」という問いかけで終わっていたと思うけど、生命を謳歌するわけでもなくまた悪意を糾弾するわけでもない、メッセージなきメッセージ「君たちはどう生きるか」であった。

君たちはどう生きるか」その言葉を受け取ったわたしがまずしたことは、深夜の山岡家にラーメンを食べに行くことであった。

 

 

(2023/07/02)

佐渡旅 後記

佐渡ヶ島、二回目、当初は天気が心配されたものの、今回も大変により佐渡旅となりました。佐渡には妙なスポット、面白いスポットがありすぎる。

ガシマシネマさんは座って待っていたら男の人からお菓子をどうぞと差し入れをいただいたので、サイダーを頼んで食べながら見ていた。他のお客がわざわざ差し入れてくれるとは考えにくいしお菓子はカフェ売っているものではないようなので、その男の人は店主の方と一緒に経営されている方なのかな。『アイの歌声を聴かせて』もこの作品を佐渡で観れてよかった。ガシマシネマはまた行こうと思う。佐渡に行った人はぜひ寄ってみてほしい。

能も本当によかった。能の謡、音楽が好きなんだよね。舞もよくて「経正」は両足ジャンプしたり刀を落としたり迫力のある作品だった。あと最後にシテの霊が舞台からゆっくりと去っていくのがすき。

あと喫茶店では特にコーヒーハウスらるごがよかったので行ってほしい。

7月いっぱい佐渡汽船のスイートルームが異様に安いので、皆佐渡に行ってくれ!

ただ、朱鷺や佐渡金山だけ見て有名な観光地だけで帰るというのは面白くないんじゃないかと思うので、やはり佐渡一周をすすめたい。自分と同じように二輪で時計回りがいいと思うけどそうもいかないと思うので、四輪でも。あと二泊三日でいいと思うけど、一番早い船で佐渡入りして一番遅い船で帰るのがおすすめ。

佐渡金山が世界遺産に登録されようが登録されまいが佐渡には行くべき。自分は佐渡が潤ってほしいけど"発展"はしてほしくないんだよね……島外民の勝手な願望だと思うけど。

これで佐渡の全部のスポットに行ったわけではなく、次は大佐渡トレッキングで山登りをしたい。

 

 

【2023年6月】佐渡ヶ島ツーリング 後半

前回の続き。

その日は朝から雨が降っていましたが小雨です。朝食のために宿を出て喫茶店に行くことにしました。

佐和田の住宅地にあるコーヒーハウスらるご。ここが素晴らしいレトロ喫茶でした。

モーニングを注文。トーストはたまごが挟んであって、コーヒーもおいしいです。

店内は広くて高級感があり、今までで最高の喫茶店でした。

また立地がいい。あたりは住宅地なのですが、このあたりはバーやスナック、飲食店が点在しています。また佐渡に来た時には寄りたい喫茶店です。

その日はあまり遠くには行かず、周辺の施設などに寄る予定でした。まずは佐渡博物館に参ります。

中にはいると佐渡出身の漫画家である赤坂アカ先生による、博物館のマスコットキャラクターが飾ってありました。

次は佐渡歴史伝説館です。こんな感じに人形が飾ってあって稼動します。これは日蓮上人の龍ノ口法難の場面ですね(法難の場所は佐渡ではなく神奈川の江ノ島になるようです)。ここは900円と少し高いのですが、展示の仕掛けが笑ってしまうほどハイテクで凝っていて、900円は高くないと思えました。

佐渡歴史伝説館近くにある真野御陵。佐渡に配流になった順徳上皇の墓です。

じんのびカフェに寄る。ここのラーメンを食べてもよかったのですが他に行きたいところがあったので、コーラだけにしました。

佐和田に戻りお昼は大まるラーメン。赤味噌ラーメンにしましたがなかなかでした。

佐渡スカイラインを上ります。道に特殊な舗装がしてあって二輪ではかなり上りづらいです。

白雲台からの展望。かなり眺めがよいです。ここからは両津湾真野湾を同時に見ることができます。その中間の平地は国中平野です。佐渡は国道350の通っている中間部分が平地で、その前後が山という面白い地形であることがわかります。

大平高原。標高が高いため、ここではトビシマカンゾウが遅れて咲いているようです。

佐渡金山の脇を通り、また相川の街にやってきました。

目当ては佐渡唯一の映画館、ガシマシネマさんです。

アニメ映画『アイの歌声を聴かせて』を観ました。よかったです。舞台の一部が佐渡をモデルになっています。ガシマシネマさんにはカフェが併設してあり、当初は時間がないためカフェだけ寄らせてもらおうと思っていたのですが、ここでの観劇は旅程に組み入れるべきだと思いました。

色々飾ってあります。

午後から晴れてきていました。この佐渡奉行所跡をこえたあたりの坂からの眺めがとてもきれいです。

18:30から正法寺のろうそく能の公演があるのですが、まだ時間があるため二宮神社に寄りました。しかしおかしい、社殿がありません。なんと2021年の火事により全焼してしまったようです。

正法寺にやってきました。これは世阿弥が腰かけたという石になります。

これは公演が終わり、片付けに入っているときの風景です。
作家の藤沢周先生の公演のあとに、琵琶の演奏がありました。能はその後になり、演目は「経正」でした。大変にいいもので感激しました。前回と同じ3500円の席ですが、前よりも近くで見れて迫力がありました。能はシテが主に左側で舞うので、観劇は左側がいいようです。
その後藤沢先生のサイン会があったのですが、家から先生の本を持ってこなかったこともあり、スルーしてしまいました😭 

次の日の朝、出発前に散歩に参りました。

その日は晴れの予報ですが、まだ曇っています。

佐和田の商店街。

諏訪神社前にあるどこでもドアがありました。

宿を離れ、出発します。

国道を離れ、再び県道45号を時計回りに行きます。台ヶ鼻灯台に行くための道は柵で閉鎖されていますが、脇を通りました。ここを右側に行くとかつて車を駐車できた場所に出ます。

ここからは左側に歩いて行きます。

また、この狭い道を身を屈めて行かなければいけないのか。

つらいです。

海に出ました。しかし灯台は見当たりません。

後ろを向くと、なんと、山の上にありました笑 道を戻ります。

なんと左の坂道方面ではなく、灯台はここを突っ切ったところにあるようです。徒歩ではきついので、カブで草をなぎ倒しながら進みました。

灯台がありました。

次は二ツ岩大明神に向かいます。

一番奥に社殿があり、中に入れます。

相川にある喫茶店、カフェ⭐︎ド カトレアにやってきました。

ここもなかなかいい室内です。

モーニングですが、トーストが二枚分ありました。コーヒーもおいしい。

伊藤赤水作品館にやってきました。人間国宝である伊藤赤水の作品を無料で見ることができます。なかなかよかったです。

小川台場跡。ここでカブを撮影。

目洗い地蔵の近くにある安寿地蔵堂。何故か民家のようになっていてなかにはお風呂もありました。近くの達者海岸は「安寿と厨子王」の舞台で、地元の人によってお風呂も開放されているらしい!

尖閣湾にある佐渡大埼灯台

塩のソフトクリームを食べました。

竜王大明神。

走っていくと入崎弁天堂が見えてきました。

BSNNSTTeNY・UX高千デジタルテレビ中継局と、近くにある入埼灯台

お昼はここのさしみ定食にしました。かなりのボリュームが出てきます。おなかの心配をしながら食べました笑

関岬灯台。キャンプ場の向こうの砂利道を通ったところにあります。ここで前回を合わせて佐渡灯台はすべてコンプリートしました。

岩谷口洞窟。洞窟の奥は暗く、コウモリが鳴いていました。

舟隠し岩、と呼ばれるところ。橋の浸食がすごいです。

去年と同じく、大野亀はデカイ!

去年は通行止めになっていましたが解禁されたことを知っていたので、上まで登ります。

天辺から。やっぱり結構疲れました。今まで通って来た道。

二ツ亀が見えます。

賽の河原霊場に行くため、願(ねがい)という地区にやってきました。ここから歩きです。

こんなところを歩きます。

ゴツゴツしてきました。

到着しました。

先に進むと二ツ亀のほうですが、バイクがあるので引き返します。

二ツ亀の前にやってきました。ここまでバイクで来るには東方面から遠回りしてくる必要がありました。Googleマップでは県道から二ツ亀よしや旅館 別館にまっすぐに続く道を案内されますが、その方は途中から道がふさがって通れないようになっています。

去年は来なかった喜びも悲しみも幾歳月の像の前まで来ました。もう草がすごくて、数年前は開けていたようですが誰も来ないと数年でこうなるんだなということがわかります。

佐渡北端の弾埼からあとは両津に戻るだけです。約40分くらいで、これがかなり長く感じます。

佐渡汽船 両津港ターミナルでおみやげを買ったあと、まだ時間があったので喫茶店に入ることにしました。再会という名前のところです。

最終便で帰ります。

四回目の乗船にしてようやくおけさ丸に乗れました。

新潟港に到着。今回も非常に密度の高い佐渡旅でした。