真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2020/08/10)

暑いなか作業していたら頭痛がして治りません。無事にバイク整備終わりました。困ったのはクラッチシューを外すための46mmソケットが前に買ったはずなのにない。46mmだから普通のソケットのサイズではなくSUGOI DEKAIわけで、まずなくなるはずがないものである。だけどどこを探してもないので、しかたなく買うことになりました。46mmナットを外すのはインパクトレンチで一発だがセンタースプリングとクラッチを交換したあとに再び付けるのに苦労した。センタースプリングを押し込んだ状態でナットを仮止めする必要があり、一人で行うのは困難。母に手伝ってもらった。しかしそれからまた一苦労。ナットの規定トルクは90Nm。クラッチ本体を固定しないとトルクレンチでそこまで締め付けるのは無理。もともとの位置がペンでしるしが付けてあったためその位置までインパクトレンチで回した。サービスマニュアルを読むと本来はシーブフィックスドブロックなる特殊工具で固定するらしい。一万円。高い。その後は無事組み付けたが、汗が滝のように流れて死にそうになる。試走行。センタースプリングは同じ純正のものだが新品で固くなったためローギアードに。やや違和感があるがVベルトを交換してすぐはならしが終わっていないこともありこんなもの。クラッチが滑っている感じはない。その後ついでなのでエンジンオイルも交換。前回の交換からは約2400km、早いが早めにやっておくことにする。こちらは作業30分もしないで終える。日はほぼ暮れていた。
やはり頭が痛い。終わる。
結論:夏にバイク作業はするな  クラッチ外すところだけ持ち込んでバイク屋にやってもらったほうがよい

メモ 62558kmでクラッチ交換

(2020/08/07)

 出かける準備のためにメインバイクの整備をしていたら、疲れました。駆動系のVベルトが20000km走行で交換時期が来たのでそれの交換と、今の総走行距離が62000kmくらいなのでそろそろクラッチ一式を交換せねばならんとあとついでにセンタースプリングも換えようと、ようするに駆動系全般のリフレッシュです。面倒なのでできればしたくない作業ではあります。というのはクランクケースを外すのがちょっと大変で、原付2種クラスのPCX(PCX150)のときは楽だったのですがビッグスクーターのこれは駆動系のクランクケースがでかく、なかなか外れなくいつも苦労するのです。方法としてはまず走行して温めて熱を持たせ、クレ556をかけ後方からマイナスドライバーでこそぐようにはぎます。なるべく傷をつけないように布を当ててするのですが、プロはもっと上手な方法があるのかもしれません。あとプーリーを外すのがまたちょっと大変で、ユニバーサルホルダーという道具を使うのですがこれもビッグスクだと長さが足りず地面との距離があいてしまうため、木の板を三枚を置いてそれから足で動かないように固定しました。インパクトレンチを持っているためそれを使えば外すのは一発で簡単なのですが、インパクトレンチは強力な力を加えるためもしクランクシャフトのスプラインを傷つけたりシャフトがわずかでも曲がったりしたら最悪なことになるためなるべく使わない方がいいとのことで、今回はスピンナハンドルというファイナルファイトに出てくる武器みたいなものを買って外しました。あと今回はクラッチも交換するのでそちらも外す必要があり、こちらはスプラインに直に接しているわけではないのでインパクトレンチを使ってしまいましたが、曲がってしまうことを考えるとやはり使わない方がいいかもしれません。なおクラッチの外側にあるクラッチアウターは焼き色で全体が真っ青になっていて、クラッチを外したときに黒いごみが大量に落ちたのでなにか削れている気がしますが、実害はそれほどないので気にしないことにしました。クラッチもそれほどすり減ってなくまだまだ使えそうでしたが、スプリングがヘタっている可能性もありますし交換したほうがいいです。Vベルトは20000km毎に交換とはいうけれど見るといつもまだまだ使えそうでビグスクのは丈夫なので30000kmでもいいんじゃないかと思いますが、まあ今回は一式換えるのでもちろん換えたほうがいいでしょう。ということで駆動系のパーツを外したところで疲れたので今日は終わりにしました。素人の整備ですが一応役に立つこともあるのかなと前にバイクブログを作りそこで情報を公開しようとしましたが、面倒なので更新してなくここに書いてしまいました。なにが面倒かって作業中にいちいち写真を取りながらわかりやすいように解説するように書かなければならないのが面倒なのです。検索でやって来てくれる方がいるのかどうかわかりませんが、車種はマジェスティ(4D9)です。
 今はODOメーター62000kmくらいで車だとまだまだですが二輪車だとかなり過走行の部類に入ります。自分が買ったときは24000kmくらいだったので走ったのは4万キロくらいで、今年で4年目なので一年1万キロと思ったよりは走ってない感じですね。10万キロはただの通過点だと思っているので、でもこのペースだとまだまだ先になりそうです。10万キロでエンジンのオーバーホールをしたほうがいいという人もいますが、不具合が出ない限りはするものではないと思っています。よほど出力が落ちない限りはする必要はなく、それよりも距離を走っていくと他の部分たとえば今回のクラッチやタイヤのベアリングなど細かいところで換えなければならない箇所が出てきます。2017年で廃盤になってしまった車種のため今後も無事にパーツが供給されるのかが少し心配ですが(たいして売れもしないのにヤマハさんは2007年からよく10年間も作り続けてくれたと思います)、乗り換えようにも後継車がないのです。原付2種の人気が波及したのか250ccクラスでもヤマハはXMAXにホンダは新型フォルツァと、かつてのブームが去ったあとまたこのクラスのスクーターを作るようになりました。それはいいことなのですがだけどこれらはグローバルモデルで、主に欧州で販売するためのものなのですね。ブーム後期のビッグスクーターガラパゴス化して装備が豪華になり一部のモデルでは駆動系が電子制御になりついには変速機能まで備えるようになりました。それが今のモデルではついていないのです。変速機能といっても私のモデルでは手動でのシフトアップはできず主にシフトダウンに使用するだけなのですが、ボタン一発でシフトダウンすることが可能でその後に加速することができまるでゲームでブーストをかけるみたいな感覚ですこぶる楽しいのです。あと最近のトレンドだと思いますが車体が少し小さくなってしまったのもちょっと残念です。なので今後電動バイクが普及するかリッチになって余裕でTMAXを買えるくらいにならないと乗り換えはないと思います。
 それで今後も大事に乗っていきたいのですが、あまり距離を走るのはどうなのか、距離が嵩むと当然整備を頻繁にしなければならなくなり面倒になので今後はできるだけ走る距離を抑えようと、普段の足用としてスーパーカブが欲しくなりヤフオクで一万円で車体を買いましたが結果これはわが家の疫病神になりました。なんとか整備をしまた改造して使おうとしましたが最後は疲れてしまい、売りました。それで去年にインジェクションモデルのスーパーカブを買いましたが、最初からこっちを買った方がよかったです。もちろんスーパーカブ自体は大変にいいバイクで、整備も簡単で燃費がよく経済的なため、重宝しています。ただ街中でたまに走っている古い鉄カブ(今のは外装が鉄ではなく普通のバイクのカウルと同じようにプラスチックになっている)を見ると渋くていいなあと思います。だけど昔のモデルはインジェクションではなく、キャブレターなのです。キャブでもいいのですが雪が降った日にキャブに雪が積もるとエンストしてしまい、押して歩いたのですが近道をしようと駅の地下道に入ってしまい上り坂で死にそうになりました。なのでキャブはもう嫌だと疲れ切って売ったのですが、だけど去年の冬は全然雪が降らなくてこれなら別にキャブでもよかった気がしますが、それでもやはりインジェクションはどんなときも一発でエンジンがかかることを考えれば最強でしょう。今ではスーパーカブもC125というプレミアムなモデルが発売され、確かにいいなと思うのですがお値段は高くここまでいくと普段使いには贅沢すぎる気がします。
 以前はジャンクバイクを買って整備して売って稼ぐというようなことも考えましたが私にそんなスキルが備わっているわけもなく、あきらめました。何事もほどほどが肝心です。

 

(2020/08/01)

 空は晴れたがやや憂鬱で、不安だ。covid19の感染は増え続けるし、それは自分個人のこととして心配しているわけではないのだが、社会不安は広がる。こんな状況で遠出をするのはつらく、いや別にいいのだが、どこかでイベントをやっているから強制的に行かされるという状態にならないと出かけるのに二の足を踏んでしまうわけで、今は本を読みたいのでなかなか重い腰が上がらない。今年の花火大会などというものは軒並み中止で、毎年明日からやるはずだった我が県の有名な長岡花火は中止、諏訪湖の花火も中止、三国の花火も中止、皆中止だろう。それで思い出すのは数年前の諏訪湖花火の日のことであるが、会場についたとたんオートバイがエンコ(昭和用語)し、花火の音がバンバンと鳴り響くなかこれは何の症状なのかとインターネットで調べ続け、仕方ないので泣く泣くバイクを放置することにし宿も何もとっていないので花火客で満員になっては大変とネカフェの自遊空間に電話するとまだ空いているという。上諏訪駅から隣の駅まで電車でいって虚無状態になりながら歩いて自遊空間に向かい、カレーを食べたあと疲れて眠り結局12時間くらいいたせいか3000円近く払った。朝になってバイクを放置した場所まで諏訪湖を眺めながら歩いて向かい、保険会社に電話し松本のバイク屋までレッカー移動してもらうとその後は青春18きっぷを買って電車で家まで帰った。ということであの年の諏訪湖花火の出来事は散々だったのだが、しかしこの時のこともまあなつかしい思い出ではある。他にも琵琶湖の近くで夜にテントを張って寝ていたら大変な雨が降ってきてあわててテントを撤収し長浜市の快活クラブまで濡れながら行ったとか、こういった阿呆な出来事はいっぱいあるのだが、しかし何かしら思い出に残ることがないとなんの記憶にも残らず日々が過ぎ去ってしまうので、やっぱり夏は出かけたほうがいいのである。
 さてここから旬の話題である、出会いやなんやらについて思うことにつなげようと思ったが、書いていて恥ずかしくなったので、迷ったあげくやめることにしました。異常独身男性の自分はアニメの女の子がどうとか、そういった話でないとやっぱり恋愛のようなものについて書くのは、躊躇してしまうと思います。

(2020/07/31)

長く続いた雨模様だが8月からは全国的に晴れるようだ。明日は8月1日だが、観たい映画がない。イオンシネマのワンデーパスポートは今日までだが、行っていない。コスパ厨なので定額なら一日映画館とイオンですごすのも悪くないと思ったがよく考えたらジブリは当然すでに観ているのだし他の映画はあまりぱっとせず一日中それほど観たくもない映画を観てすごすのは苦行であった。

今日でツタヤプレミアムを解約し、映画はまたこれでしばらく終わりだろう。もう世の中の自分が感激する映画はほとんど観てしまったのではないかという気がする。祭りのあと症候群で、鬱である。

 

映画『アップサイドダウン 重力の恋人』
下の世界にいる主人公とヒロインの上の世界で、重力が上下ともにある世界の物語。なんといってもヴィジュアルが最高レベルの映画で、全編美しい。海から空に向かって落ちて行くところやエンディングの引いていく画面も綺麗だ。脚本はおしいが、一流エンタメ監督が作れば映画史に残るものになったに違いない。こういった作品こそハリウッドでリメイクするべきだろう。 

映画『クリーピー 偽りの隣人』
黒沢清監督。『CURE』と同じサイコサスペンスホラーなのだが、しかし本作の場合ある謎に迫っていくミステリーのスタイルが強く、そこを期待しているとなんじゃこりゃということになる。何故主人公の妻が簡単に惑わされてしまうのか、CUREの場合と同じで人間が急におかしくなる理由などないのだが、犯人捜しミステリとサイコホラーの部分が合わずミスマッチで、そこがストレスになってしまうからだ。 

映画『リアル 完全なる首長竜の日』
実はこれ、黒沢清が監督した映画と知らずに映画館に行った。2013年の公開で、私にはこれが初黒沢清だったらしい。主人公の男がセンシングという技術を使って漫画家である恋人の精神内世界に入り、彼女が自殺未遂を起こした原因を探るという内容。見直すと確かに黒沢清の映画だが、精神内世界や島と好みの要素が多く、映画館で観たときはそうでもなかったのだがけっこう気に入った映画になってしまった。原作の小説とは全くちがった話になっていて、もうここまでいったら人物の名前も全部変えるべきではないか。しかしよくここまで変えて作ったなと感心する。途中で明かされるギミックは忘れていたので意外性があったが、これは小説にはないはずで、悪くない。確かに脚本は完璧ではなくおしいところがあるが、もっと評価されていいはずである。 

映画『アンジェラ』
あのリュック・ベッソンの映画だ。全編白黒である。川に飛びこもうとしたダメ主人公の元に金髪美女の天使が現れるというラノベみたいな話で、その実リュック・ベッソンの女性に対する性癖が現れているどうしようもない作品である(小さい胸が好みらしい)。これは前田有一が言っていることが正しい。アニメ・ラノベの文脈を知っている人ほど合わないのではないか。日本でアニメ映画としてリメイクしてほしい。  

映画『寝ても覚めても
自分のなかのリアル恋愛に対する嫌悪感を見せつけられた貴重な映画だった。震災につなげて社会派の映画にすればよかったと思う。バイクで転がってキスはありません。やめましょう。

(2020/07/26)

 映画『マトリックス』から派生した、「ブルーピル」および「レッドピル」*1というインセルおよびalt-rightでよく使われるミームがある。それでふと思い出したのは映画『電車男』の主人公がヒロインのエルメスに好きな映画は何かと問われそのときに薦める映画がマトリックスであり、電車男はどうせ夢落ちにするならマトリックスみたいにどちらのピルを飲むか選択する話にすれば面白かったのにと想像したのだった。しかし検索してみると電車男の最後は夢落ちではないと言っている人もいて、はてどうだっただろうと気になったのでわざわざDVDを借りることにした。
 今さら全編は見なかったが、さすがに今の時代からするとオタク的内容に恥ずかしさがある。それはそうと確認してみたところ、夢落ちが意図されていないというのは無理がある、というのがその答えだ。電車内でエルメスが落とした定期入れを主人公が拾おうとするシーン、そこで急に切り替わり過去と同じ場面に接続されるのは夢落ち的な演出そのもので、おはなしは元通りの世界に戻りましたというものだ。あれは回想だという意見があったがそうだとすれば何故いきなり最後に回想を入れそのままエンディングまで持っていったのかと問わざるを得なくなり、どうしても不自然である。しかしよりによって何故夢落ちなんかにしたのか、あのまま普通に終わらせることもできたはずだ。そもそも2ちゃんねる発の電車男という話自体が実話であるとするには怪しいもので、映画をああいった結末にしたのはこの話を実話とし願望の入った物語にすることへのためらい、さえない男が高嶺の花である女性と交際しうまくいくという、そうした夢を見させないための措置なのではないかと初めて観たときには感じたのである*2。しかし問題なのは主人公をネクラで冴えなく、常に卑屈で、だが好きなものの話題になれば饒舌になり薀蓄をかますというあまりにもオタクのステレオタイプ像に描いてしまったことで、それはヒロインのエルメスも同様で特に面白みのないお嬢様像そのものである。最後主人公はエルメスの抱擁を受け、自分に自信がなくてということを言うのだが、極めて卑屈なオタクとそれをわかって慰めるヒロインという構図で、あれがよくない。ストーリー自体が紋切り型であり、夢落ちという落ちもそのテンプレの延長上に出てきてしまう気がするのだ。
 マトリックスとの関連に戻っていうと、電車男が拾うエルメスの定期入れが赤色だったことから*3電車男はレッドピルのほうを選び、目覚めた先の現実は電車男のアンチとして書かれた本田透の『電波男』だったりするのだろうか。(こういった図像の一致を見る解釈はあまりいいものではなく、もちろん冗談である)
 ではどうすればいいのか。ヒロインが言う「好きな映画はなんですか?」という質問に対しマトリックスなどと答えたのがいけなかった。これは現実のわれわれにおいても好きな映画を訊かれるという、素朴な、だが極めて答えにくい質問に対する対処法でもあり、そのようなときは『ムカデ人間』または『トーク・トゥ・ハー』と答え、これらの映画を強引に見せ、相手にこれで引かれなかった場合、〈ぼくに・きみに〉最高のエンディングが待っているはずだ。

*1:マトリックスの主人公ネオはブルーピルを選んで夢を見続けるか、レッドピルを選んで真実に目覚めるか選ばされることになる。

*2:もちろん夢落ちは観客の目を作品内にて覚まさせ、「現実に帰れ」という方法である。

*3:実はうろ覚えであり、確認する前にDVDを返してしまった。

(2020/07/21)

京都アニメーションの作品はテレビアニメのなかで一番多く見ていたはずでPAワークスもそれなりには見ていたがおそらく京アニのほうが多いだろう。京アニ事件のあとに書かれたnoteを読み記事内に二次創作とあったが京アニの作品自体が二次創作的というか、それは原作改変と言われることもあるが私はまさにそこが好きだったのである。原作改変というと少しネガティブな意味合いが入ってしまうが京アニはそれを演出でやるのが上手く、原作を元にしてまったく別の作品に作り上げてしまうのだ。それは前に書いたが『聲の形』のように思わず怒りに駆られてしまう作品もあったが*1、私が特に好きなのは『ハルヒ』『らきすた』『氷菓』で、たとえば氷菓は原作小説において恋愛描写はまったくといってないところをラブコメにしてしまったのだがそれだけではなく、あれは演出がよくて思い出せるところで例をあげると愚者のエンドロール編の入須と喫茶店での会合における光の効果や、最終話の「遠回りする雛」での生き雛の行列それに最後の場面の桜が舞うところなど小説ではさらりと触れられた部分がいかにも美麗なアニメーションの効果で演出されるのである。原作の古典部はまだ続いているがアニメはそれまでラブコメをやって来たうえであれが最終話になったことを考えるとなかなかに残酷で、しかし残酷な美しさがある。そうした卓越した演出の例は他にいくつもあげることができるだろうし、それも下請けで積み上げてきた上の安定したクオリティの作画があってこそで他のスタジオではなかなかなし得なかったことなのかもしれない。

 

日曜日は夕方になってから出かけた。村上春樹の新刊が出たことを知ったのでツタヤでブルーレイを借りるついでに探したがそこにはなく、ちょっと遠いツタヤまで行くことにした。久しぶりに乗った250スクーターは晴れていたこともありまったりな走り心地で快適すぎ、チューンしていることもありやはりこれで十分だなという気になる。同じヤマハのスポーツスクーターであるTMAXは大型の貫録があり確かにいいだろうがしかし排気量が上になってもトランクスペースは減り変速はなくなり足つきと燃費は悪くなるとすべてがよくなるわけではないのである。書店について見たところ村上春樹の新刊は短編集ということもありあまり長くはなさそうだったので春樹サンには申し訳ないがその場で読んで帰ることにした。腹が減っていたので歩いてすぐのスーパーまで行き、フジパンの黒コッペ(105円)を買って休憩コーナーで食べ、それから書店に戻り併設のタリーズにて飲み物一杯で村上春樹の新刊を読む、これが「新しい生活様式」やぞ*2。さて新刊の『一人称単数』だが村上春樹川上未映子のインタビュー本で三人称を通過したあと新しい一人称で書くことがあるかもしれないというようなことを言っていたのでその通りになったのかなと思ったが、読んでみたらだいたい今までの村上春樹だった。午後八時になると周りには誰もいなくなりすでにカフェの閉店時間になっていたが、読み終わり本のページを閉じるといい時間をすごしたなという思いで帰った。

*1:だいたいが植野直花のせいだがあの作品はむしろ中立的でニュートラルな視点で描いたのが問題だと思っている。

*2:もっと金さえ配られればこんなふうにケチケチしないですむのである。

(2020/07/18 2)

今一度批判検証しようと天気の子のブルーレイ借りたら間違えてDVDのほうで泣きそう……

なんか画質が悪いなと思ったらDVDだった。明日泣く泣く借りなおしに。ブルーレイとDVDでは32インチテレビでも結構な違いがわかりますね。

シーライオニングという言葉がツイッタで話題だがさすがにソクラテスはそうではないだろう。ただ誘導尋問っぽく見えるところはある、だがそれもプラトンから見たソクラテス像でプラトンの創作が入っているので難しい。ギリシア市民はどのくらい納得していたのだろうか。プラトンの問題作がソピステスだったかパルメニデスだったか忘れたがあれは対話相手がつわもので議論としてはそのほうが面白く読めるのかもしれない。ところで村上春樹川上未映子がインタビューした本『みみずくは黄昏に飛びたつ』でイデアなんてよく知らずプラトンも読んだことないと言っていた。川上未映子は驚き川上の友人も嘘だろうと疑っていたということだがどうやら村上春樹は本当に天然で余計な知識が入るのを避け「巫女」としての役割に徹しようとしているらしい。

ヒカキンの本名の苗字が開發(かいはつ)ということで前に富山に行ったときに開発(「かいほつ」と読むことが多い)という地名があることを知り開発という語の元は仏教語らしく面白いなと思った。ヒカキンは上越の出身だが富山のほうとなにか関係があるのかなあと。

高速1000円のときは車で九州、鹿児島まで行って高速を降りたあと何もせずに帰ってきた。宮崎ではちょうど口蹄疫騒ぎのあとで高速道路では検問のようなことをやっていて物々しい雰囲気だった。