真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

面倒くさいということについて (2018/03/01)

前回の日記を読み直してみたら意味不明で笑える。そもそも自分を語ることが苦手である。前は人に誤解されたりすることが嫌だったのだが、それも最近は別にいいかと思えてきた。それというのも、何事に対しても「面倒くさい」という感情が先に立ってしまうからだ。非常によくない。

最近は何かをするより、何もしないことのほうが幸せに思えてきた。ぼおっとして何かを考えているのが楽しいのも、加齢のせいかもしれない。縁側で日向ぼっこをしているような、そんな感覚だ。(しかしまだ、お迎えがやって来るのは遠い)

生きるのはコスパが悪いというのは全くその通りに思える。生きていくためには少なくとも食べたり、寝たりしなければいけない。これがなくなり、精神的存在になれたらいいなと思わないでもない。

ツイッターで三大欲求がどうのこうのいうツイートを見たが、人間にとって三大欲求とは何かということはさておき、外から隔離された快適な空間で、なんでも美味しい食事を与えられ、あらゆる好みのタイプの女の子(女というのはもちろん自分の場合)をあてがわれるが、しかし食と性交以外の娯楽はなく、あとできることは眠るだけ、という場所でどのくらいの期間そこにいられるのだろうということを考えた。そんな実験があったら参加してみたいものだが。
(これに知的な娯楽、あらゆる本、映画、ゲーム等が加わるとしたら、どうだろうか。もしかして一生いられてしまうのかもしれない。まあ、どうでもいい空想だが)

まあ要するにすべてが面倒くさいのだが、これに付ける薬はあるのだろうか。

最近よく思うのだが、物事に対して興味を持つにはどうしたらいいのだろう。インターネットには情報があふれているのものの、しかし自分がすでに興味のある範囲を超えて、なかなか知らない物事に興味を持つのは難しい。(というようなことが言われることがあるが、その通りである。)

現代において「アパシー」こそは最大の難敵なのだろう。うつ病とも違い、最近になって注目され始めたアパシーと呼ばれる症状は、ミヒャエル・エンデ『モモ』で「致死的退屈症」と言われたものと同じだろう。アパシーに罹ると生きても死んでもどうでもいい、といった状態にまでなってしまう。モモではこの病にかかるともう治る見込みはないとされているが、これこそ現代において立ち向かわなければならない、最大のものなのである。