真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

ネット禁をすることにした(2018/03/03)

ツイッターをしていたとき、もう全然楽しくないのに、タイムラインで誰かが投稿してくれるのを待っていることがよくあった(主に人がいない深夜だが)。本当はもうページを閉じて、他の意味のある作業をしたい。だが止めたいと思っているのに、止められないのである。全然楽しくない状態でやっているのだから、依存症とは少し違うのかもしれない。これはあきらかにやばい状態だろう。私はそれを「ゴドー状態」と呼んでいた。(サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』にちなむ。その時はまるで神の到来を待ち望むかのような状態で画面に張り付いていた。だがもちろん、タイムラインにそんなものは来ない)

当時は、このままではツイッターに人生を食い潰されてしまうような感覚があったのである(ここでは書かないが、他にもツイッターには多大なストレスを感じていた)。つぶやきをやめたことでだいぶ楽になったものの、結局は今もツイッター(ウェブ検索からだったり、どこかからTogetterに飛び、そこから入ったりで見てしまう)や他のサイトを見て、時間が潰されることはとても多い。だがそうしたことのすべてがストレスになっているのではないかと思えてきた。

そうして何かのサイトを閲覧してしまうのも、確かに自分にとってそれなりに興味のあるトピックがあるからである。だが記事の内容にもよるが、政治・社会問題にせよ、その他ちょっとしたことにせよ、読んでいて憂鬱になることは多く、それなのになかなかやめることができず、延々と見続けてしまう。私は本当に気持ちの切り替えが下手で、一度はまりこんだらそのことをずっと考えてしまうのである。不快なのに止められないというのはもう病気に近いものがある。

(ちょっと検索したら、こんなページがでてきた。

息抜きスマホ、脳にはストレス やめられない理由はこれ:日経ウーマンオンライン【相磯展子の「目からウロコの仕事ハックnew」】

それにしても、世の中には情報が多すぎるのだ。私は情報のすべてをうまく消化することができない。消化することができないだけでなく、普段からかなりのストレスになってしまっていることに気づいたのである。

もうこんな状態からは脱したい。私は決意した。ネット禁である。今後しばらくネットはアマゾンで物を買うとか、映画の席を予約するするといった用途に限定し、その他は極力使用しないことにしたのである。(といっても、ポルノ用途には使ってしまうと思うが)。そうでもしないともはや、現在の状態からは抜け出すことができないと思ったのだ。

ネットに自分の人生を食い潰されてしまうという危機感は、私にとっては切実なものである。時間を制限して使えばいいのかもしれないが、上に書いたように、一度見てしまうとなかなか抜け出すことができないとなれば、一切を禁じるしか方法はないだろう。
もうやめた、もうーやめた、もーうやめた、もう本当にやめた。あとは知らん。

あとはこれが、できるだけ続くように努力するしかない。そしてもちろん、空いた時間の使い方が一番重要だ。