真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2018/6/10)

カラマーゾフの兄弟はまた最後まで読めなかった。読むのを止めたのは最初に読んだ時とまたしても同じ個所、3巻のアリョーシャが僧院に帰ったあとだ。ここで読めなくなってしまう理由ははっきりしてる、ここまでほぼアリョーシャを主人公としたRPG(ゲームの)だったのが場面がかわり、ミーチャの場面に映ってしまうのだ。ミーチャの章はこれから長いだろう、そうなったらもうどうやっても集中力は続かない、こんな物語はもうどうだっていいやとなる。
俺には生涯かかってもカラマーゾフの兄弟を読み通すことはできないのだ、別にいい、どうせ大審問官のあとは大したことなんて書いてありゃしない、これが世界文学の最高峰とか、人間の魂の深淵を抉り出したとか言われても俺は絶対信じないからな。別に難解な話でもない、ただ長いだけだ。長くて冗長なものを難解とは言わない。
俺は金を借りただの返しただのの話に人間や世界の深淵さが表現されるなんてことは絶対に信じないからな、そう思いたければ思えばいい、文学派の方々はこいつは文学がわからない奴だとか言うんだろうが、しかいいつも思うのだが古典文学の長さとエロゲの長さは全く同じようなもので、俺にとってはひたすら苦痛なものなんだ。そんなところに世界の深淵さがあってたまるか、俺にとっての敵は難解さではなく、長さと冗長さなんだ。文学も芸術も、一か所たりとも無駄な部分がなくて、足らないところもない、そうであって欲しいんだ、これは俺の信仰であり、美学の問題なんだ。だから俺は音楽が芸術の理想の姿なんだって何回も言ってる、これからも言ってやる、ただ心の中で繰り返すだけだが。優れた音楽が寸分違わず完璧であることを、一体誰が、理性ある人間が疑ったりするだろうか? しかし説明するのは少々難しい。くそっ、こんなところでくだを巻いていても仕方ない、早くもっとましなところへ行きたい。

ツタヤプレミアムは退会し、ツタヤディスカスに登録した。「乃梨子の場合」「わたしを離さないで(映画版)」を借りた。そういえばサミュエル・ベケットの「名づけえぬもの」この本も何度も読みかけてはやめているのだが、安藤元雄の酔っぱらいの語らいのような翻訳が悪いと思ったのものの、それも悪くないような気もしてきた。