真人間を目指すためのログ

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【ネタバレ】シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 感想

私は元々エヴァに対してほとんど思い入れはありません。なのでシンエヴァも特に期待はせず、普通の映画を観に行く感覚で行きました。作品としてのエヴァはもちろん評価していて、旧劇はグロテスクともいえる映像でよくあんなふうに「痛み」を表現したものだと思います。新劇に関しては最初の序を確かとしまえん近くの映画館で観て、最後の時間の上映でエンディングクレジットで席を立てば終電に間に合ったんですが、誰も立たないのでそのまま宇多田ヒカルの曲を聴き、その後はファミレスに入りやっぱエヴァーおもしれーなーと思いながらノーパソで考察を読んでました。序はTV版をそのままなぞっているのでノベルゲーの二週目のように、展開が少しずつ違っていくんだろうなという感じが楽しかったのです。破とQは地元で観たと思いますがあまり記憶がありません。で今回のシンエヴァですが、書きたいことはほとんどなかったのですが、まあちょっとはあるので書いてみようとはてなブログを開き、新着表示には冒頭の数行が表示されるのでネタバレを避けるために内容とは関係ないことを書こうとこれまで書いたんですが、もういいでしょう。

・まずQの世界がそのまま続いていることにちょっと驚きました。Qは旧劇の続きという説がネットではまことしやかに語られていたのですがそうではなかったようです。まあ展開の考察なんてそんなものでしょう。
・皆さんの語っている第三村の場面に入り、またそこが長くこの映画はもしかしてこのまま最後までいくんじゃないかと思った。裸をシンジに見せるアスカにちょっと欲情させられてしまう。だがケンケンはアスカが裸になっても驚かず不穏なものを感じたよね。

・いきなり黒波がLcLになって溶ける。ちょっとはっとして目が醒めた。

・ケンケンに撮らないでよというアスカ。ここも不穏で何かやばいものがあるような感じがしたよね。

・ピンク髪の子とトウジの妹の場面は茶番にしか見えなかった。ピンク髪の子好きなんだけどね。ゲンドウが恐ろしい姿になっていたのはよかったと思う。

・私は制服などの乳袋は不自然でありよろしくないと批判的であるが、ああいった戦闘スーツの乳袋はエロく素晴らしいものであることがわかった。

・目が醒める驚くべき展開になってほしいのでゲンドウの側を応援していた。

・教室等の背景でギャグとしか思えないエヴァ二機の対峙。映画の舞台が現れたときはシベリア超特急を再現するのかと思った。

・胸の大きいいい女しか勝たん

・思いっきり庵野の地元である山口の新宇部川駅

庵野の私的映画としか思えず帰った

いやほんと大した感想がないので、noteにある感想を読んでほしい。主張されていることはそれぞれに違うと思いますが、私にはエヴァに対する思い入れこそないものの作品の見方や評価としては概ね同じようかなと感じています。(小山氏のは最後彼くん叩きになってあれだが)

ポカ波好きがシン・エヴァを観た正直な感想|鈴原サクラの怪文書|note

「キモチワルイ」 シン・エヴァンゲリオン感想・考察|小山晃弘|note

追悼「シン・エヴァンゲリオン劇場版:呪」|小鳥猊下|note

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」についての雑感(今日における虚構の価値について)|宇野常寛|note

私も作品は作品として評価すべきで作家の私生活などの事情は本来はどうでもいいと思いますが、庵野があからさまに自分のことを反映させて作ってしまっている以上仕方がないところがある。

序を映画館で見たときは年齢も様々で性別も男性ばかりではなくこれほど多様な人たちが見てたんだエヴァーてすげーなと思いましたが、今回の映画館はほとんどが若い男性で完全に世代交代が起きたようです。もうエヴァなんか忘れて大人になり現実を生きている人たちがきっと大勢いるのでしょう。

序破Qシンで整合性がなく全然違う作品を見ているようなのは本当にそう。ポカ波がどう変化していくかというのは序破までの重要なところだったと思いましたが(もう忘れたが)、Qシンで本当に置き去りにされてしまった感。でもあずまんのシラス放送では黒波の最後は成仏したという評価だった。う~ん……

シンエヴァを評価している人は今回ちゃんと終わったことを評価しているが、新劇エヴァの最大の問題は年月が経ちすぎてしまったことのような気がする。

全体的に旧劇のセルフパロディをやってる感がとても強い。最新のCGを駆使しているもののはっとする場面はほとんどなく、最後の絵コンテを見せるところもまたやってるなーという感じ。当時なら斬新だったところ既視感しかない。でもまあこんなふうになるのもエヴァーらしいなという感想でした。

アスカに関してネトラレ的に発狂する人が大勢いるようですが、エヴァにラブコメも恋愛もなにも期待していないのでそ私にはどうでもいいです。私がエヴァに期待するものがあるとしたら疑似宗教的なもので、疑似宗教的な架空の神話や黙示録としての作品です。エヴァセカイ系と評されるが、謎を散りばめた「世界」と個人の内面の「セカイ」の双方で極端なところがあります。それで私は世界の方の展開を観たかったのですが、結局シンエヴァは最後ゲンドウが滔々と語るように個人のセカイの方に行ってしまった。あれも結構陳腐でそこ全部セリフで語ってしまうのかと思ったのですが、あそこはシンジの側が本当にゲンドウの内面まで降りていってゲンドウの世界が描かれればよかったのにと想像する(グラスリップの12話のように)

ラストの解決法はまあそれなりによくある方法というか、それまでのことをリセットしてすべてを初期化されるというようなものです(そうではないかもしれませんが、私にはそのようなものに思えます)。たしかTV版の26話では想像力で作り出せる世界としてパンをくわえた綾波の世界が描かれますが、あれをやったに近いんじゃないでしょうか。もしこれが「ぼくたちでこれからの世界を作り出そう!」というようなポジティブな展開から最後の場面に至ったのなら私も絶賛したでしょう。ですが描かれたのは入り口から入ったあと後ろ向きにまた同じところから出ていくようなものでした。

気になったのはカヲルが月にいて今までの物語が棺桶にあるのか?メタ構造をしているのではないかというところですが、それでこれは三浦俊彦センセのエンドレスエイトの驚愕が当てはまる世界なのではと思いましたが、あまり関係もなさそうですね。三浦俊彦センセはシンエヴァを見たのだろうか。

いつも以上に散らかった文章になってしまったがシンエヴァについて考えるのはもう疲れたのではやく書いて楽になりたいと思ったからです(成仏)。これで終わります。