真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2022/09/10)

リニア中央新幹線の問題点や地方の商店街に関する本を借りてきたが例によって一瞬で関心がなくなり、ほかのことに興味が出てきた。いつもの、何度もここに書いた、私の亡霊としての、自作の小説や自作ノベルゲームに関することである。そのため昔書いた長編のリライトをまた始め、中断していたシナリオをまたも書き始める。これで何度目だ。自分の病気であると心得ているが、治らない。ゲームのほうは今度こそシナリオくらいは完成させたいものだ。そんなに長くないのだし。

失敗作について。私は常々『ひぐらしのなく頃に(原作)』『12RIVEN』『Charlotte』『1Q84』その他の作品は失敗作なので後半は作り直すべきと主張してきました。私はそれらを失敗作と断じますが、しかし駄作ではなく前半部分については大変に面白く重要なものです。なので、とにかくもったいない、作品を訂正し、修正しあるべき姿へと救済すべきことを主張します。また失敗作と感じる自分の作品も、すべてを作り直さなければならないと感じるのです。しかしそれは容易ではありません。ですが……この、作品における訂正可能性という考えが私の頭を離れません。この訂正可能性は東浩紀の最近のテーマですが、初期の郵便本から続いているともいえるもので私が東に最も関心を持っているのもそこで、もちろん東とまったく同じでないにしても、私も同じような問題意識が、幾分かはあるのです。(言われているように東のそれは、歴史修正主義の問題とつながってきてしまうのですが……)あとピエール・バイヤールは失敗作のリライトを試みる著作があるそうで、また『アクロイドを殺したのはだれか』(読んでいないのですが)など批評の読みにおいて作品の訂正が計られているように思います。それと同様に、二次創作についても……(重要な話になるとどうしても何も書けなくなり筆が止まるので、この話はここで終わります)

とにかく、次に作りたいゲームの『さなぎ』というタイトルのものは、主人公が高校生のいわゆるぼっちで、高校生のことなど書きたくなかったのだが、書いていたらこれはこれで書くのは案外楽しいんじゃないかと思った(もちろんただの高校生活を描いているのではなくファンタジーの要素が入る)。しかし短くてゲームとして成り立つのかと思うが、完成させるには短いほうがいいだろう。

2018年に死去した登山家の栗城史多について書かれた『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 』河野 啓は本当に衝撃的な内容で、これに関してはいつか少し感想を書いておきたい。