真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

つぶやき(2019/3/16から)

20190421
自動車免許を取ってまだ一年たっていない初心者のころ一度アクセルとブレーキを踏み間違えたことがある。いきなり車が飛び出して怖かった。さてアクセルとブレーキの踏み間違いで起こる事故だが、AT車では足を空中に置いてはいけないのである。足を空中に浮かせた状態だと、次にアクセルを踏むか、ブレーキを踏むかの二択が発生することになる。この二択を発生させてはいけない。つまり、現在アクセルを踏んでいる状態で次にブレーキを踏むか、ブレーキを踏んでいる状態で次にアクセルを踏むか、のどちらかしかない状態にするのである。そうすれば踏み間違いは起こらない、というか自然に運転しているとそうなっているはずである。
ATはクリープ現象で自然と前に進むがこのクリープ現象の状態で駐車するようなとき、足はブレーキの上に乗ってはいるが、まだ踏んでいない状態にあるはずである。とにかく足を空中でアクセルとブレーキの間で迷わせて、浮かせておいてはいけない。止まるときは足を移動させず、ただそのままブレーキを踏むのである。アクセルを踏んでいる走行中に止まるときは、足をブレーキペダルに移動させてブレーキペダルを踏む。いずれにせよ二択は起こらない。
とにかくクリープ現象のときに次にアクセルを踏むのかブレーキを踏むのかで迷い、足を空中(またはその下のマットとかに)に置かないことが重要だ。以上のことは、運転に慣れた人なら自然とそうなっているとは思うが。
しかし不思議なのは、コンビニに突っ込んでいる車の画像を見ると前側から突っ込んでいることが多い点だ。うちの近所のウエルシアでも店舗の入り口に車が突っ込む事故が起きていた。前側から突っ込むのは一体どういう状態なのだろうか。やはり上に書いた通り、アクセルから一旦足を離してしまった状態での踏み間違いなのだろうか。もしかしたら駐車しようとするときかなりスピードが落ちている状態から止まろうとして、アクセルから足を離してブレーキ側に移動する際に、そのままブレーキを踏まず一旦足を空中や床に置いて遊ばせてしまい、その後に踏み間違えてしまうのだろうか。
一度アクセルとブレーキを踏み間違えてもその後ブレーキを踏めば車は当然止まるはずだが、度々言われる通り運転者はブレーキを踏んでいるつもりでもそれが実はアクセルで、ブレーキだと思って更に強く踏み込んでしまうということなのだろう。これを防ぐには最近の自動車に搭載されている自動ブレーキシステムくらいしかないのだろうな。
それにしても最初の段階での踏み間違いというのがあるはずで、とにかく書いたように右足をブレーキペダルの上かアクセルペダルの上以外のところに置くな、というのは浸透してもいい気がする。完全に自己分析だけど。

何か普段もうちょっと面白い内容の考え事があるような気がするのだけど、浮かんでは消えていく泡みたいなもので、何の言葉にすることもなく消えていく。

20190416

投稿した文章を読んでみたらいつも以上に混乱している気がする。しかし面倒すぎる。誤字一つ直すのもめんどい。もはや病気の域であろう。

20190331

確か図書館にあった集英社 世界文学大事典のパウル・ツェランの項にその言葉が書かれてて執筆したのが丘沢静也だったんだわ要確認だわ

アドルノの言葉「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」をずっと「アウシュヴィッツのあと"ドイツ語"で詩を書くことは野蛮である」というふうに覚えててなかなか修正されなかった全然意味違うじゃねーか。実際に最初にそう読んで知ったのだがたぶん丘沢静也のせいだわ最悪だわ

20190330

メモ ペレアス ワーグナー

人に何かを伝えたい、という思いが全然ない。

言葉で全然感情と思考を伝えることができない。

輸入楽譜のスコアあったけど一万円近くてさすがに手が出ない。5000円くらいなら……

おそらく地図を見るのが好きなのも同じ理由なのだろうと気づいた。

楽譜を見ているのは好きで、その理由は抽象的な図形から実際に感覚的な音楽が発生するというところなのだろう。

クラスターでピアノをぶっ叩くのとアルペジオの奔流にときめきを感じざるを得ない。

グリーグ以上の評価が与えられるのは当然。

現代ピアノ協奏曲の最高傑作。と思ったら作曲が1969年で今年で半世紀が経つとか信じられない

初めてエイノユハニ・ラウタヴァーラEinojuhani Rautavaaraのピアノ協奏曲第1番の楽譜を見て震えた。

20190328

なんの考えも書けない、どうでもいいんじゃないか、という感情が支配している。

ポルノグラフィーとコマーシャルはフィクションというジャンルを考察する上で結構やっかいなのではないか。

大きな意味ではフィクションといえるだろう。だからややこしい

「表現」されたものはすべて同じ意味の「フィクション」なのか。そう考えている人は多そうだ。

もちろん私はそれはおかしい、という考えだが、どうおかしいのか。

すべてを「表現」の名で一緒くたにする違和感はずっとあって小説映画などのフィクション・ポルノグラフィー・コマーシャル・街頭のヘイトスピーチまでもが何の見境もなく論じられている。

 

パルジファル」の原作改変とカップリング創設がひどい。

いや詳しくはないんだけどそうだと思ってる。シェイクスピア

ワーグナーは二次創作作家であるということは言っていきたい。

モノたちの宇宙も買ってしまったものの、読まずに売ろうかなと思っている。

四方対象は一応読んだが、amazonのレビューにある通りあまり魅力的には思えなかった。

いや別に思い出せるのだが、もうその気が無くなっている。

何か考察したいことがあったはずなのに、いつものようにもう忘れている。

だが身に付けた技術は裏切らないと信じている。

その通りだと思う。

知識って最終的には虚しいよおじさん「知識って最終的には虚しいよ」

沈思黙考したい

みんな色々自分の好きなテーマについて語るけど、そんな気が全然起きないのは感情が死んでしまったせいなのだろうか。

電波男」は本田透の実存の書として読んだ。

20190324

ヘーゲルの大論理学を見たら超絶難解で笑った。あれは精神現象学がましに見えるレベル

20190323

続きはあとで書きます

グラスリップがわからなかったというのはそういったこととは違う、そもそも何を表現したいかさっぱりわからないという人が多かったようだけど、私はわからないということがよくわからなかった

そもそも作品について何を表現したいか全くわからなかったという感想を持った人に説明して理解してもらうことはできるのだろうか。例えばヌーヴォーロマンのような小説が好きだと言った人がいて、なるほどそういった作品が好きな人がいることは理解できる、というのは私はヌーヴォーロマンな小説を読み通せないにしてもがだいたいどんなことを表現しようとしているかは把握している、それだからと思うけど

いや途中までは面白かった。異次元空間(?)での歌もいいし

もうあまり記憶がないけど、申し訳ないけどピンドラアンチなので笑)

輪るピングドラムの話で最後に林檎を分け合ったのはどこかにたどり着いたことの象徴とか解釈が割れているみたいな話があったがそもそもそれは象徴みたいな表現で誤魔化されていいのだろうか具体的に描くべきではという疑問がある。

しがないさんのツイキャスグラスリップの話から、しがないさんでもグラスリップゆゆ式以上の"無"だったらしい。

一部のものに過集中することはできるのだが、そうでないとさっぱり感情移入ができず注意を保つことができないというのは昔からだった。

もはやアニメや映画もそうで新しいものを見るのが極めて難しい状態が続いている。なんというか場面に感応することができなくなっている。

最近漫画が読めないという子供が殖えたといった話を聞くが、私もどうしてそうなのだろうかと思っている。

漫画は本当に苦手でどんなものを読んでもだいたい何も頭に入って来ない。さすがに藤子F不二雄とか手塚治虫とかは読めるがあとスラムダンクとか岩明均とか昔触れたことがあるものしか読めない気がする。

さてここ最近(一年前?くらい)になって読んだナウシカだが全くといって理解できなかった。思想が難解だったとかそういったことではなく漫画を読むのがとても苦手で、そもそもどんな場面が展開されているのかほんの一ページも理解できなかったのである。

中学生のとき「ナウシカは実は難解で、映画はほんの一部だけの話」といったことを聞き難解なものに興味を持った。そのときはまだどういったものが難解とされるか全く把握していなかったのである。

単に未熟な表現のせいでよくわからなくなっている作品ももちろんある。

たとえばフィネガンズ・ウェイクのような

何が言いたいのかよくわからなかったと言われるような作品でも、(小説であれば)全部を読み通すことなくても作品のだいたいの理念を把握するのはそう難しいことではない。(理解できた、とは言えないにしても)

作品における難解さというのは一体なんだろう。

面白くなかったと言われると本当にそうか?自分にとってはどうなんだろうと検証したい気がしてくるせいだろう。

逆に面白くなかったという感想も面白かったという感想以上に興味を持ってしまうかもしれない。

何々の本面白かったという一言でもそれに興味を持つことがあるから別に無理して感想とか書かなくてもいいんだよな。

あずまんのゆるく考える買ってしまった。

メイヤスーは面白かった。めちゃくちゃ頭疲れたが

だめだ、四方対象はよーわからん。売る。

20190321

夢日記はたった一行でもいいから毎日書くことが大切だな。

それでいいと思うしかない。

そして、読み返す気はほとんど起こらない。

小説も今は「ディスコ探偵水曜日」をちびちびと読んでいるものの舞城の「土か煙か食い物」の内容を思い返してみてもほとんど思い出せないし「好き好き大好き超愛してる」にしたって大変いい小説だったがやはり場面を思い出せない。

ツァラトゥストラを読んだときは結構興奮したけどもう一度読み返す気はまったくない。

プラトンとか結構読んだけどクラテュロスとかパイドロスとかいった名前のほかは本当に綺麗さっぱり忘れたな。

今は自分の中で哲学リバイバルが来ているが、ほとんどすべて忘れるだろう。

読書ノートを取るにしたってどうせ忘れて読み返さないんだし意味がない。

本当に読んだ端から忘れていくな。確かに読書なんかして意味があるのだろうかと思ってしまうが、別に忘れてもいいのである。

 

20190319

読んだ本はすぐに売ってしまおう。宵越しの本は持たないヒッピースタイルでいこう。

有限性の後で やっと読み終わった。第三章が核心部分でここを読むのに三日かかった。四方対象とモノたちの宇宙注文した。

 

 

フィクションやファンタジーへの強い興味は夢を明晰化するだろう。だが、私はまさにその感情がなくなり、夢内容はほとんど捕らえられないものになっていったのである。

明晰夢のためには  明晰夢を見るためには大変いい方法がある。恋愛である。感情のときめきは夢を明晰化させるのである。夢はときめき、感情と関係する。しかし、今すぐに恋愛をするというのは難しい。ので、別の方法を考える必要がある。

夢を憶えておくために 夢日記を続けるのは難しい。夢日記を書いていても時間がたてば、すべては思い出せないものに変わる。夢の映像を言語で写し取ることは困難であり、そのため夢の正確な記述をあきらめ、自由な言語によって想像を拡張することを試みる。必要なのは正確性ではなく興味を持つための方法。

薬物使用とかほとんど誰も真剣には悪いと思っていないのにセンセーショナルに報道されるが故に悪いということになり自粛が進むという気がする。

絵も昔よりは結構うまくなったな(自己評価)

資料フォルダに後背位のエロ画像注入してる

俺もID001のように筋トレしてカラオケ動画あげるか

胸筋を鍛えるためにはダンベルカールだけではだめで、フラットベンチを買って別の種目をやる必要があるようだ。

有限性の後で 第三章 内容が濃密でライオン仮面のあとにオシシ仮面が出て、さらにオカメ仮面が登場するというふうに議論が広げられる。

2019春 東北旅行 秋田~弘前

gw前半は母親と一緒に東北に旅行に行った。当初は弟も行く予定だったが行かないことになりそれなら母が弘前公園の桜が見たいということで二泊三日になった。母の車での旅行だが、運転は主に私である。 

朝六時すぎに出発し高速道路に乗った。今日の主な観光は秋田の角館。日本海東北自動車道日東道)で新潟区間の終点の朝日まほろばICまで。ここから国道7号。日東道は全線開通していないため所々道が途切れ途切れになっている。再びあつみ温泉ICから高速に乗るとき寄り道してあつみ温泉のほうに行ってみたが(ICからはやや離れている)、桜はもう完全に散っていた。昼ごはんの時間合わせのため鶴岡ICで下りてそこから酒田市まで。本当は酒田ラーメンの店に入ろうと思っていたがそこはやめ近くにあったお昼は海鮮どんや とびしまという有名らしいところへ開店の11時ちょうどに入ったが事前に整理券が配られていてそっちが優先になり時間がかかりそうだったため少し待ってからあきらめた。
母はそんなにお腹が空いていないということで私もまだ大丈夫だったのでお昼はあきらめ象潟(きさかた)ICから秋田区間の高速道路に入った。片側一車線の道路で、ここまで来ると他に走っている車がほとんどいない。お昼をとるため西仙北SAまで行きそこでスマートICで下りるという考えがあったが少し遠くなるため行かず協和ICで下りた。そこから国道46。
道中ところどころ雨が降っていて角館に着いたときもずっと雨だった。ヤフー天気では午後から止むということだったが結局止まずあとになったら更に強く降ってしまった。
さて私は数日前から痔が再発してしまっていたのでおしりが痛く雨の降る駐車場に車を止めセブンイレブンのトイレでケツにボラギノールA軟膏を塗り込めた。これは事前に買っておいて本当によかったと思う。たぶんプリザエース軟膏よりも効きます。

角館は人が多く土産物屋が並ぶような場所でこういったところは独身男性が単独で観光に来てはいけない。単独では楽しめない場所がいくつかあって、例えば長野の高原のリゾート的なところなど一人で観光してもつらい思いがして楽しいことは何もない。ので一人では来ないようなところに母と来れて良かったと思う。

f:id:glamaje:20190509180358j:plain桜は満開から少し過ぎた後だろうか。川沿いに咲く桜が綺麗だったが、雨であったため近くを歩いてなく写真はない

駐車場に車を止めてからお昼にした。桜の里というところでここが評価が高いところだった。親子丼が有名らしく親子丼と稲庭うどんのセットが1600円という観光地価格だったがこれにした。コスパで考えるなら他に親子丼のうまい所はあるかもしれないが高いだけあってやはり美味かった。有名ないぶり漬けもおいしい。

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おそらく親子丼とうどんの単品しか食べなかったらやはり高いなあと思ってしまったと思うので絶対にセットが得である(親子丼単品でも1500円する)。セットだと美味しく感じるというか相乗効果で実際に美味しくなるということは多い。

車の運転を続けたおかげでとにかく肩が痛く、お昼ご飯が来るのを待っている間と母が土産物を買うのを待っている間がつらかった。ただ歩いていたらましになったので、運転で疲れたらとにかく体を動かすのがいいのだろう。
角館は武家屋敷が有名で、いくつか入ってみた。ほとんどが外から見るだけで、家の中には入れないらしい。一通り見て回ったあと帰ろうとすると歩行者天国が解除されていたので車で川沿いの桜を見ながら角館をあとにした。

f:id:glamaje:20190509181207j:plain武家屋敷の中から外の通り

その日泊まるところは田沢湖高原の民宿である。麓の道から少し距離があって、上の方は道の脇に雪が残りちらちら雪が降っていた。ご飯はなしの素泊まりで、一旦宿に着いてチェックインしてから宿を出て途中にあったスーパーマーケットにその日のご飯を買いに行った。

f:id:glamaje:20190509181523j:plain駐車場のあたりはこんな。家の車はヴィッツハイブリッドでここには写ってない

素泊まりだが温泉はよかった。夜中の三時頃に目が覚めてしまいすることがないのでもう一回入りに行った。

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f:id:glamaje:20190509183056j:plain一日目の道はこんな。一日300km以上はきつい

二日目の目的地はとりあえず弘前まで。国道341は午前8時まで積雪のおそれがあるため玉川温泉のあたりで通行止めになるということを道路の上にある電光掲示板で知ったので、国道105のほうから行くことにした。朝六時すぎに出発。山道でそれなりに疲れる。弘前市の無料の臨時駐車場に車を止め少し歩いて弘前公園へ。

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国道105で迂回

弘前城本丸・弘前城植物園・藤田記念庭園の共通券を買った。弘前城植物園のなかを通っていったん公園を出て旧弘前市図書館まで。そこから藤田記念庭園、ふたたび公園の中に入って弘前城。(画像でお送りします)

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f:id:glamaje:20190510173444j:plain城の中には行列ができていたので入らなかった。城の規模としてはそう大きくもないし見なくてもいいかなあと

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 止めていた駐車場は帰ってきたら満車になっていて、高速の出口が渋滞していた。桜の時期に行く人は早めの行動がおすすめです。

その日の宿泊は北上市ホテルメッツである。とりあえず高速道路に乗り弘前から花巻まで。花巻温泉に日帰り入浴があるということでそこに向かったのだが、行ってみたらgw中は日帰り入浴はやっていないという。これにはがっかりした。代わりに別の簡易的な温泉に行ったのだがここがコインロッカーが少ししかなく満杯で、空くまで待つことになってしまった。

ホテルメッツに着いてから夜のご飯にラーメンに向かったのだがスープがなくなったのか閉店時間前に閉まっていた。仕方ないのでローソンで買ってホテルで食べた。

f:id:glamaje:20190510173453j:plain東北新幹線が駅に止まっていた

やはり駅前のビジネスホテルとなると安い旅館よりコスパは劣ってしまう。ただ朝食はバイキングでこれはうまかった。盛岡冷麺というものがどういったものなのかいまいちわからなかったが小鉢があったので食べてみたらうまい。(画像なし)

最後の日は中尊寺金色堂に行く予定だったがやはり駐車場が混んでいて朝から満車になっていたので近くの毛越寺だけ行くことにした。中尊寺には母は行ったことがあるということで、私はまあここはいつかまた来ることもあるだろうと思ったので必須ではない。

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毛越寺の池

高速に乗り山形の南陽市まで、そこから国道113で新潟まで行きまたも高速で帰りました。

今回の反省点
・宿の予約は早めにとっておこう。ネットでなくても電話の枠は別にあるらしいので片っ端から電話しよう。
ビジホは朝食のバイキングが付くのはいいものの温泉はなく、コスパの点ではやはり下がってしまう。
・バイクの運転は疲れるが、車の運転も長距離だと同じくらいに疲れる。バイクと同じ感覚で道を選んだらとにかく疲れてしまった。車の場合特に寄り道をせず高速道路で目的地に直行するのがいいのだろう。今回の旅程は少し無理があった。
・母と意見が合わないことが度々あった。出かける前に自分の意見に絶対に従ってもらう旨の契約を交わしておこう。

(2019/04/16)

サーヴィス精神がない。どこかに出かけてもツイッターやブログに写真一つ上げるのも面倒くさいし、文字一つキーボードで打つのだって面倒くさい。誰かがそれなりに喜んで文章を読み写真を見てくれるならそれに応えたいとは思うが私は承認欲求が薄く、全くないわけではないと思うが表面上のそれはやはり薄いのでだからわざわざ面倒なことはしなくてもいいんじゃないかと思ってしまうのだ。この前神戸まで行って、それから帰ってきてから何もツイッタには投稿していない、旅とは非日常を味わうものなので旅行中は一切SNSとの接触を断つようにしているのだ、東浩紀の「弱いつながり」の助言によってだ。でそれから家に帰ったあともつぶやきたい欲求がなくなってしまったので何も書かなくなってしまった。そんなこと言っても今はこうしてブログのための文章を書いているわけだが一気にこうして文章を垂れ流すのは好きなのだ、いつもの通り、キーボードを無意識に叩くのは楽しい。さて神戸までの旅は福井の敦賀を越え国道162号から南下して、その道はちょうど桜が咲いていてきれいだった、ただ標高が上がるとまだあんまり咲いていなくて、また走り続けると大野ダムのあたりが満開になっていた、ここで数枚写真を撮ったのだがバイクを降りてダムの方に歩いてみればよかったな。しかし今回の旅程で書きたいことはあまりない、ただ各地で食べたラーメンはうまかった、地元のラーメンは飽きてしまった感じがあるが他の地方のラーメンを食べると異様にうまい、やはりラーメンからはどうしても解脱できない。いろいろ課題が残る旅だったがラーメンのおかげで今回の満足度は75点といったところだろう。

大野ダムの桜
大野ダムの桜

涼宮ハルヒの消失エンドレスエイトを見直したおかげで西宮の舞台に行ってみようと思っていたがやっぱり面倒くさいし行かなかった。もはやアニメの背景が描かれた場所に行ってもそんなには楽しくないんじゃないか、ただ神戸という場所は面白い。あと三田のニュータウンはすごい、神戸電鉄沿いを走って行くと目の前に近未来のような街が聳え立っているように思えた。 

神戸の桜のトンネル
神戸の桜のトンネルとされるところ 面倒だったので写真を撮ってすぐに退散した

多治見に行ったとき、ここは黒夢清春の出身地ということで、多治見は何回も通ってるけど今回は実家を探してみた。だいたいの場所はわかったが特定はできなかった。

多治見のジョイフル
多治見のジョイフル ジョイフルはいつも辺鄙な場所に店舗を作っている なんとなく撮影してしまった。こんなところでないとバイクを撮る機会がない

地元のラーメンに飽きた 新潟のラーメンは背脂を使っているものが多くてずっと好んで食べていたのだが背脂ちゃっちゃ魚介スープみたいなラーメンに飽きた感じがある。しかしラーメン自体に飽きたわけではないのは今回の旅でわかったので、他の地方に行ったときにはまた積極的に行ってしまうんだろうなあ。地元ではレストラン喫茶のようなところに行ってみてオムライスを食べたらこれが非常においしく、これからはラーメンをやめてオムライスでせめてみるのも一興かもしれない。

旅行中に辿るべき道について 今回最初はもうこんなオートバイのツーリングも飽きたなと思ってしまったが、天気がいいとやはり楽しく、オートバイで楽しく走るための三つの条件がある。天候・気温・道、である。この三つがそろえばやはりとても楽しい。天候は運に左右されるのでしかたない、気温は寒いのがつらい、電熱ジャケットを買うしかない。あまり楽しくない道はできるだけ避けるべきだが、これがなかなか難しい。最短ルートを通るとどうしても味気ない国道を飛ばしてしまうことになりがちだ。しかし多少時間がかかっても、一桁・二桁台の大きい国道を避けてわざわざ三桁の国道や県道を走るべきであろう。 

国道8号線 新潟から北陸へ続く道 ただの田んぼのなかを走るバイパスで海沿いと親不知以外は基本つまらない。富山の朝日町まで一気に高速で行き、それからは8号を避け海沿いの道をまったりと行くべきであろう。

国道27号線 敦賀から西の道は楽しい、山陰まで楽しく走れるはず。

 国道19号(木曽高速) ここがつらい、標高が高いところを通る故寒いし途中ゆっくり休憩する場所もない、三時間くらい走りっぱなし。わざわざ飯田の方に迂回するのも面倒。夏なら途中の道の駅で寝てもいいんだけどなあ。高速は回り道をしているせいで料金が高くなるのがどうも嫌だ。

飽きてきた。最近は舞城王太郎を読んでいる。福井の今庄町まで聖地巡礼に行きたい。「深夜百太郎」は話の最後に地名が書かれているので(西暁町の方は実際の地名そのままではないもののほんの少し変えてあるだけなので、どこかはわかる)、いちいちグーグルマップで調べている。舞城の実家は国道476を山の方に入った付近にあるのだろうか。ディスコ探偵水曜日のパイナップルハウスもこのへんにあるのだろう。

ピアノ欲しい。 

「あーあ空からピアノが降って来ないかな」(実際に降ってきて圧死) 

(2019/3/2)

イオンシネマにアリータ: バトル・エンジェルを観に行ったら珍事が起こった。3D吹き替え版の上映のはずだったが、映画が始ってからすぐにおかしいと思ったがどうも3Dに見えないのである。3Dメガネをはずしても、やはりかけている状態と見え方は変わらない。これは不良のメガネなのではと思いスクリーンを出てスタッフの人に「3Dに見えないのですが……」と申し出た。俺はこのメガネがおかしいのではということを伝えようとしたら、スタッフの人はすぐさま無線で連絡し、「LXSレンズ入ってる?……」といったことを言ってる。どうやら上映側の問題だったらしく、その後「機械の不具合で3Dになっていなかったので最初から上映します」と呼びかけがありでまた最初からやり直しになった。おそらく機械の不具合じゃなくてヒューマンエラーだろ(笑)たぶんLXSレンズと言ったと思うけど3Dの上映方式は七種類もあるらしく、知恵袋によればソニーデジタルシネマ3D方式(RealD-LXS)というのがある模様。肝心のアリータ: バトル・エンジェルの方はあまり面白くなくもう二時間たったかなと思ったら「後半へつづく」みたいな感じで終わってしまった。これ前に4DXで見たドクター・ストレンジと同じ感覚ですわ。やっぱりアバターとかレディプレイヤー1は格別だったんだな。ただ帰りに出口にスタッフの人がいて「すみませんでした。報告ありがとうございました」ということで無料鑑賞券をくれた。スクリーンにいた全員に配っていたみたいだけど。イオンシネマ神だわ。10分くらいで気づいたからよかったんだな一時間くらい上映しちゃったらまた最初からというわけにはいかないもんな。無料鑑賞券の有効期限は五月末日までらしい。

つぶやき(20190217まで)

20190217

前のアカウントではもっと気軽にリプライとかできていたはずなんだが、どうもいい言葉が思い浮かばないというか、まあそんなに構える必要はないんだろうけどどうも俺は人に変な絡み方をしてしまうことがあったんだよな。

ツイートの仕方がよくわからなくなった。

まあ皆 物語が大好きな人ばかりが書いているので私と合わないのはしょうがない。

やっぱはてな物語評論ブログって敵だわ。

20190212

耳をすませば」雫はINFP代表キャラだけど天沢聖司はISFPなのだろうか。どうもあの用意周到な面はINTJのように思えるんだよな。夢想的な理想主義者でもあるし。どうしても沖倉駆とかぶって見える。

キョンも二つ、INFPとISTJ。ISTJだろう。と思ったがちゃんとINFPの理由が書いてあってなるほどと思った。

折木奉太郎もINFJとINTPの二つ。INFJは単純にしっくりこないからINTPでは。

キャラクター性格診断スレまとめ Wikiでは千反田えるの性格がENFPとISFJの二つが併記されてるけどISFJのほうではないかと思う。千反田えるはアニメ以後小説の展開からしても伝統を重んじる部分があるのでENFP的な天真爛漫さとは違う感じ。

20190211

世の中にはみんなもっとセックスしよう!と呼びかけるセックス布教人がいらっしゃるのですがその方にじゃあお前が相手しろ!っていうのは言ってはいけない雰囲気になってるんですかね。

みんなもうセックスをしないと気が狂うってとっくに気づいてるよね。

出会いというものは多かれ少なかれ偶然性に左右される。のでここからは出会いの場を増やせというようなアドバイスしか出てこないだろう(数打ちゃ当たる、方式)。しかし僕たちは偶然性と運命のあいだで苦しんでいる。

俺「出会いがない」 昔のバイトの先輩「出会いは作るもの」

Q. 何故あなた(わたし)には恋人がいないのか? A. 出会い。以上。

女神という属性というかキャラが好きで仕方がない。

姫神プロジェクトrのエロシーンだけ集めて数千円で売ってほしいほんと。

はてなにもDMMゲームの広告でるようになってんのか。18禁ではない全年齢なのかなこれは。

ポルノは人間の心を強くときめかせてしまうものであるので、まるでポルノが救いをもたらすように思えてきてしまうのである。

バイク旅は少し飽きてきた感があるけど、まあたまに行ければという感じ。

ずっと継続的に努力を続けられる対象が欲しいけど、カラオケ(高音修行)くらいしかなくなってしまった。

心をときめかす何かを見つけ出すのは簡単ではない。心をときめかす何かで思い浮かぶのはまずもって恋愛だろうが、相手が必要とされその相手にまず出会わなければならない。次にフィクション等のコンテンツ。これも自分の感情移入能力がかなり低いために自分に合う作品を探すのに日々努力が必要とされる。人文学や学術的な本を読んで思考を深める。もちろん結構な努力が必要。

睡眠・料理・瞑想。

別に見る人がいなくてもいいんだよな。話す練習が大事。

ゲーム実況は単純にずっとしゃべり続ける必要はないので楽。

マザー1買うかと言ったので実況するか。

一人でしゃべってるだけでもそれなりに練習にはなると思うけど、話すネタを見つけ出すのが難しいので、ゲーム実況でもすればいいのかな。

しかしフォロワーは少ないので、ツイキャスのために100人くらいいるといいんだが。

せっかくツイッターに登録したことはしたのだがら、ツイキャスでもやってコミュ症改善の練習をしないとなあ。

楽しくあり続けるのは難しい。できれば精神の糧を枯らせないために毎日書店か図書館に行くことを義務付けるのがいい。

創作のネタは全然浮かばないが、エロい妄想は積極的にしなくても否応なしに浮かんでくるもんな。

精神が追い込まれるとポルノに救いを見出すようになってしまうというのはよくわかる。

やはり実写の映像を流しながら二次元キャラを想像してのオナニーが一番抜ける。

青山ひかるって静止画だとめちゃくちゃ好みの写真があるものの動画だとそれほどではないんだけど、それなりには可愛い。あとエロい。

エロマンガでオナニーできないことはないが絵がうまくても画面がごちゃごちゃしているとあんまり抜けないので、自分はカラーイラストのほうがいいかな。

同人で漫画ではなくカラーのイラストに台詞がついてるような形態のものがあるけど、あれは作るのにそれほどの労苦を要さなく実用性が高いのでは。

インテュオス4持ってるんだから使わないとなあ。

AVではよほど好みに合わないと抜けなくなっているし、それは二次元絵でもそうなのでシコシコとエロ絵を自己生産するしかないのかな。

って誰か言ったっけ。

キョンラヴクラフトを読むわよ!

家庭用3Dは頓挫し映画も廃れたからなあ。ほんともったいないわ。

あの映画で見たおっぱいは迫力があったからあんなエロコンテンツが見たいのですが。

映画館で見た3D映画の『ベオウルフ』はよかったな。たぶん一番最初の3D映画のひとつではないかと思うんだけど知名度はないな。

人間の顔が微妙に小さいのがどうもね……片目をつぶるとちょうどいい感じに見えるんだけど。

まだまだ開発段階なんだなあ。そりゃそこまで使えるレベルだったら大量のVR廃人を生み出しているはずだよな。

これ3D映像のほうがずっとリアルなのでは。

現実は偉大だった。

なんか現実と同じように動作するのがヴァーチャルリアリティとかいうけど、不気味の谷ではないが現実には完全に似ないのがほんと違和感がある。

巨乳の迫力が全然なかった。もっと迫り来る感じかと思ったのに期待しすぎだった。おっぱいを撮影してるカメラに近づけるとかのことをしないと無理なんだろ。

あと人間の見え方が若干小さい。実際の距離感とは微妙に違うのが大きな違和感になっている。

ドットの粒子がそのまま見えてしまうのはかなり気になる。

FOVEというヘッドセットだがOculus Goにしたところで変わらないだろう。

全然没入感ない。

オトナcafeとかいうアダルトコンテンツが無料だったので試してみたが部屋の中を望遠レンズか広角レンズで覗いている感じ。

VRネカフェでやってみたがたいしたことなかった。

20190210

そういえば自遊空間とかネカフェにもカラオケあるんだよな。夜はバンバンと変わらないような値段だと思うけど。

今日はネカフェの快活クラブにいってこようかな。VR体験したあとはカラオケでもやってればいいだろ。

ほんとにただのつぶやきなんだけどそれが主張として受け取られてしまうのがツイッター

ツイッタだとこんなに早く投稿できないし自分の主張が際立って受け取られるようでそれは結構嫌なんだよな。

前のブログで「現実とはなにか」という哲学的な問いではなくVR等のメディアに関連して「我々は何をリアルと感じるか」というような記事を書いてたんだけど書き終らなかったし出さなかったな。まあ大層なもんじゃないけれど。

もともと芸術のメディアに興味ある。

芸術というものは対象と一定の距離をおいての"鑑賞"が必要とされるものではあるので新メディアはそこをどう解決するというかどうやっていくのかなあ。

子宮のなかのような安心感だな。

やっぱり俺にとってはブログが本当の独り言感ある。

しかしVRの没入感は逆にストーリー鑑賞の妨げになると思うんだよな。映画館の3D、4DX以上の没入感のあるVRで映画を作る意味ってあるのかなあ。

ツイッタと同じように上の方に書いていったほうがいいのかな。(この投稿はこの↓↓まで書いた後の数回目)

 

これからはツイッタの代わりにここでつぶやいてみる

VRヘッドセットについて調べていた。とりあえず映像コンテンツだけならスタンドアロン系のOculus Goで十分らしい。

もちろん80パーセントくらいはアダルト目当て。Oculus GoはDMMアダルト対応。

VRでなくてもOculus Goで配信サイトの映画とか見れるらしい。もちろんVRにはならないが映画館のような迫力で鑑賞できるらしい。

いずれホームシアターはオワコンになる?

春にOculus Questという新商品がでるようなのでそれまでのつなぎでGo買ってみてもいいかなあ。

VRゲームはまだまだ発展途上なのかな。

それにしても今後どんどんARやらVRやらのコンテンツが充実し旧世代のメディア特に小説はオワコンになるのではないかと思った。もうなっているともいえるが。

人間の想像力も新世代のメディアに合わせてなされるようになる。

もちろん小説が滅んでいいとは思わないが、この流れは変わらない。

小説は映像メディアよりもずっと没入度が低いことは否めない(想像の余地が残されている)。もちろんそれはメリットでもあるが、生き残ることはできるのだろうか。

 

 

(2019/02/28)

やっぱりツイッタ向いてないから試にここをツイッターとして使うか。

朝からウィキペディアオウム真理教の修行の欄を読んで恐怖に震えてる。

彼女ができる方法は金髪にすることではと思った。何故なら金髪の人は彼女がいるような気がするからである。

春になったら西宮、神戸に行くことにした。前にも書いたけどハルヒ巡礼を行う予定。いまさらだけど。神戸の洋館とかは前にほぼ全部回ったけど取りこぼしがあるから行くか。他にも神戸にはちょっと行きたいところがあるというか本当はそこがメイン。

やれたかも委員会は2巻で飽きたな。暇なときに入ってしまったKindle Unlimitedだけどまた解約だなあ。読み放題でもそんな読みたいのないしな。

実は漫画はかなり苦手でほとんど読めない。集中力が続かなすぎる。

電子書籍だけどkindle paperwhiteは持っていても市販の書籍はほとんど読まないんだけど、やっぱり紙の本のほうがいいのはインクのにおいどうこうではなくて電子書籍だと集中して読めないんだよな。集中して読める人ならいいんだろうけど。なので使ってるのは自分で書いた文章を読むのが一番の用途かなあ。

母親がわけ合って新車を買うと知り、昨日から怒りとやりきれなさに震えている。

前に言いそびれたけど、ジエチル君 氷菓見てなかったのか。

小説とアニメで折木奉太郎の人格は結構違う気がする。自分は小説→アニメの順なのでそう違和感はなかったけど逆だとどうなのだろうか。

今日はこれくらいかなあ。

アニメ Angel Beats! 二回目視聴の感想(2)

またエンジェルビーツに考えていたので少し追補。やはりABは糞アニメという評価が出てくるのは仕方がないというか、神への反抗といいつつ実際にやってることといえば食券を巻き上げたり、テストで天使を落としいれたりすることなのだから、茶番に見えてもしかたがない。まあ実際に茶番なのだが、モラトリアムの話なんだよなあれは。

それにしてもゆりっぺの感情が浄化された理由ってなんだっけ。12話を思い返してみてもよくわからないのである。まさかモニタ破壊が気持ちよかったからではないだろうが。
ではゆりっぺの感情の浄化に繋がるような、またしても物語上の別の可能性を考えてみよう。

 ①ゆりっぺが仲間とのつながりを確信する。 ②天使(かなで)と和解する。 ③ あの世界の真相や意味を知る。 

死んだ世界戦線ラブライブのようなみんな連帯といったところはなく、特に仲間意識もなく最後も銘々一人ずつ消えていく。しかしここで皆と出会えた、という点はゆりっぺになんらかの意味をもたらしたのだろうか。なんにも描かれてないが、そもそもABは茶番なのである。俺たちの戦いはこれからだ!俺たちの戦いは終わった!という連帯意識はそもそも意味を持たないのである。そういえば最後に残る四人以外はいきなり消えていた。最終話になって本当に突如としていなくなっているのである! あれも思えばあれでよかったのかという思うところではある。というのは最終話は平和な感情が流れてるんだけど、校歌歌ったりやってることといえばどうもつまらない。まあメンバーが全員残ったとして、一人一人を描くのは無理だったろう。

②神の御使いとされる天使と和解するのは神と和解する象徴的表現と受け取ることができる。かなでと出会って、ゆりっぺが初めて本当に心を許せる相手ができた、という展開。しかしかなでは最初から天使ではなく、かなでとゆりっぺが仲良くしているシーンなど描いても和解するもなにもなく、そもそも死んだ世界戦線は最初から天使に敵対する理由などないのである。つまりABは茶番なのである。1話では一体どうしてかなでをスコープで狙っていたのだろう? その後のかなでをテストで落としいれる場面では一緒に教室にいるのである! その時に狙えばいいのにと思うが、別に天使の命を狙っていたのではないらしい。深く考えてはいけない。

③ ゆりっぺが神に対して敵対するのは、自分の理不尽な運命の理由を知りたかったからといえるだろう。だがこの問いには直接答えることができない。何故ならそれは我々のこの世界でも大問題といえるからである。しかし世界の真相を知ることがどうしてゆりっぺの感情に関わりがあるのか。
またしてもどうでもよくなってきた。もう一度アニメ本編を見返してみる必要がありそうだ。

はい12話の最後の場面ちょっと見直しました。そもそもそんなに唐突でもなかった。一体今までの考察はなんだったのか。大ちゃぶ台返しである。そもそもあの世界は消えようと思えばいつでも消えられるような世界なのである。ゆりっぺのシーンはあれでだいたい十分だったのではないか。神への反抗というテーマからすれば、もっと深遠なところまでテーマ的に掘り下げていって欲しかったというのは確かだが。 

もういいだろう。真面目な考察をして本当はABを肯定的に評価したいはずなのにどうしてこうなってしまうのか。まあ可能世界の話をしても実際にそうはならなかったのだから、空しいのは確かだ。麻枝も不十分な点というか色々思うところあってゲーム化したんだろうけど、ゲーム一巻目は確か松下五段の話だったと思うが過去の事情を描かれてもやはり特に面白くはないのだった。SSSメンバーが何人いるのか忘れたが、全員の話をやるとそれはそれは大変だしマンネリにもなるだろう。続編が頓挫したのは必然だったのだと思う。

もちろん私はABを糞アニメだとは思っていないのでこうして色々考えているのであるが、茶番的に見える部分とシリアスを両立させるのはやはり大変だったというか、死語の世界という特殊な世界観だったため色々と齟齬が発生したものと思われる。だが神への反抗というのは普遍的なテーマであるはずなので、そこを象徴的に観れるかどうかがAB評価の分かれ目な気がする。

次はシャーロットを見て思うところあれば考察しよう。ゆりっぺは天使。ゆりっぺは神。以上。