真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

つぶやき(下ほど古い投稿です)

20190217

前のアカウントではもっと気軽にリプライとかできていたはずなんだが、どうもいい言葉が思い浮かばないというか、まあそんなに構える必要はないんだろうけどどうも俺は人に変な絡み方をしてしまうことがあったんだよな。

ツイートの仕方がよくわからなくなった。

まあ皆 物語が大好きな人ばかりが書いているので私と合わないのはしょうがない。

やっぱはてな物語評論ブログって敵だわ。

20190212

耳をすませば」雫はINFP代表キャラだけど天沢聖司はISFPなのだろうか。どうもあの用意周到な面はINTJのように思えるんだよな。夢想的な理想主義者でもあるし。どうしても沖倉駆とかぶって見える。

キョンも二つ、INFPとISTJ。ISTJだろう。と思ったがちゃんとINFPの理由が書いてあってなるほどと思った。

折木奉太郎もINFJとINTPの二つ。INFJは単純にしっくりこないからINTPでは。

キャラクター性格診断スレまとめ Wikiでは千反田えるの性格がENFPとISFJの二つが併記されてるけどISFJのほうではないかと思う。千反田えるはアニメ以後小説の展開からしても伝統を重んじる部分があるのでENFP的な天真爛漫さとは違う感じ。

20190211

世の中にはみんなもっとセックスしよう!と呼びかけるセックス布教人がいらっしゃるのですがその方にじゃあお前が相手しろ!っていうのは言ってはいけない雰囲気になってるんですかね。

みんなもうセックスをしないと気が狂うってとっくに気づいてるよね。

出会いというものは多かれ少なかれ偶然性に左右される。のでここからは出会いの場を増やせというようなアドバイスしか出てこないだろう(数打ちゃ当たる、方式)。しかし僕たちは偶然性と運命のあいだで苦しんでいる。

俺「出会いがない」 昔のバイトの先輩「出会いは作るもの」

Q. 何故あなた(わたし)には恋人がいないのか? A. 出会い。以上。

女神という属性というかキャラが好きで仕方がない。

姫神プロジェクトrのエロシーンだけ集めて数千円で売ってほしいほんと。

はてなにもDMMゲームの広告でるようになってんのか。18禁ではない全年齢なのかなこれは。

ポルノは人間の心を強くときめかせてしまうものであるので、まるでポルノが救いをもたらすように思えてきてしまうのである。

バイク旅は少し飽きてきた感があるけど、まあたまに行ければという感じ。

ずっと継続的に努力を続けられる対象が欲しいけど、カラオケ(高音修行)くらいしかなくなってしまった。

心をときめかす何かを見つけ出すのは簡単ではない。心をときめかす何かで思い浮かぶのはまずもって恋愛だろうが、相手が必要とされその相手にまず出会わなければならない。次にフィクション等のコンテンツ。これも自分の感情移入能力がかなり低いために自分に合う作品を探すのに日々努力が必要とされる。人文学や学術的な本を読んで思考を深める。もちろん結構な努力が必要。

睡眠・料理・瞑想。

別に見る人がいなくてもいいんだよな。話す練習が大事。

ゲーム実況は単純にずっとしゃべり続ける必要はないので楽。

マザー1買うかと言ったので実況するか。

一人でしゃべってるだけでもそれなりに練習にはなると思うけど、話すネタを見つけ出すのが難しいので、ゲーム実況でもすればいいのかな。

しかしフォロワーは少ないので、ツイキャスのために100人くらいいるといいんだが。

せっかくツイッターに登録したことはしたのだがら、ツイキャスでもやってコミュ症改善の練習をしないとなあ。

楽しくあり続けるのは難しい。できれば精神の糧を枯らせないために毎日書店か図書館に行くことを義務付けるのがいい。

創作のネタは全然浮かばないが、エロい妄想は積極的にしなくても否応なしに浮かんでくるもんな。

精神が追い込まれるとポルノに救いを見出すようになってしまうというのはよくわかる。

やはり実写の映像を流しながら二次元キャラを想像してのオナニーが一番抜ける。

青山ひかるって静止画だとめちゃくちゃ好みの写真があるものの動画だとそれほどではないんだけど、それなりには可愛い。あとエロい。

エロマンガでオナニーできないことはないが絵がうまくても画面がごちゃごちゃしているとあんまり抜けないので、自分はカラーイラストのほうがいいかな。

同人で漫画ではなくカラーのイラストに台詞がついてるような形態のものがあるけど、あれは作るのにそれほどの労苦を要さなく実用性が高いのでは。

インテュオス4持ってるんだから使わないとなあ。

AVではよほど好みに合わないと抜けなくなっているし、それは二次元絵でもそうなのでシコシコとエロ絵を自己生産するしかないのかな。

って誰か言ったっけ。

キョンラヴクラフトを読むわよ!

家庭用3Dは頓挫し映画も廃れたからなあ。ほんともったいないわ。

あの映画で見たおっぱいは迫力があったからあんなエロコンテンツが見たいのですが。

映画館で見た3D映画の『ベオウルフ』はよかったな。たぶん一番最初の3D映画のひとつではないかと思うんだけど知名度はないな。

人間の顔が微妙に小さいのがどうもね……片目をつぶるとちょうどいい感じに見えるんだけど。

まだまだ開発段階なんだなあ。そりゃそこまで使えるレベルだったら大量のVR廃人を生み出しているはずだよな。

これ3D映像のほうがずっとリアルなのでは。

現実は偉大だった。

なんか現実と同じように動作するのがヴァーチャルリアリティとかいうけど、不気味の谷ではないが現実には完全に似ないのがほんと違和感がある。

巨乳の迫力が全然なかった。もっと迫り来る感じかと思ったのに期待しすぎだった。おっぱいを撮影してるカメラに近づけるとかのことをしないと無理なんだろ。

あと人間の見え方が若干小さい。実際の距離感とは微妙に違うのが大きな違和感になっている。

ドットの粒子がそのまま見えてしまうのはかなり気になる。

FOVEというヘッドセットだがOculus Goにしたところで変わらないだろう。

全然没入感ない。

オトナcafeとかいうアダルトコンテンツが無料だったので試してみたが部屋の中を望遠レンズか広角レンズで覗いている感じ。

VRネカフェでやってみたがたいしたことなかった。

20190210

そういえば自遊空間とかネカフェにもカラオケあるんだよな。夜はバンバンと変わらないような値段だと思うけど。

今日はネカフェの快活クラブにいってこようかな。VR体験したあとはカラオケでもやってればいいだろ。

ほんとにただのつぶやきなんだけどそれが主張として受け取られてしまうのがツイッター

ツイッタだとこんなに早く投稿できないし自分の主張が際立って受け取られるようでそれは結構嫌なんだよな。

前のブログで「現実とはなにか」という哲学的な問いではなくVR等のメディアに関連して「我々は何をリアルと感じるか」というような記事を書いてたんだけど書き終らなかったし出さなかったな。まあ大層なもんじゃないけれど。

もともと芸術のメディアに興味ある。

芸術というものは対象と一定の距離をおいての"鑑賞"が必要とされるものではあるので新メディアはそこをどう解決するというかどうやっていくのかなあ。

子宮のなかのような安心感だな。

やっぱり俺にとってはブログが本当の独り言感ある。

しかしVRの没入感は逆にストーリー鑑賞の妨げになると思うんだよな。映画館の3D、4DX以上の没入感のあるVRで映画を作る意味ってあるのかなあ。

ツイッタと同じように上の方に書いていったほうがいいのかな。(この投稿はこの↓↓まで書いた後の数回目)

 

これからはツイッタの代わりにここでつぶやいてみる

VRヘッドセットについて調べていた。とりあえず映像コンテンツだけならスタンドアロン系のOculus Goで十分らしい。

もちろん80パーセントくらいはアダルト目当て。Oculus GoはDMMアダルト対応。

VRでなくてもOculus Goで配信サイトの映画とか見れるらしい。もちろんVRにはならないが映画館のような迫力で鑑賞できるらしい。

いずれホームシアターはオワコンになる?

春にOculus Questという新商品がでるようなのでそれまでのつなぎでGo買ってみてもいいかなあ。

VRゲームはまだまだ発展途上なのかな。

それにしても今後どんどんARやらVRやらのコンテンツが充実し旧世代のメディア特に小説はオワコンになるのではないかと思った。もうなっているともいえるが。

人間の想像力も新世代のメディアに合わせてなされるようになる。

もちろん小説が滅んでいいとは思わないが、この流れは変わらない。

小説は映像メディアよりもずっと没入度が低いことは否めない(想像の余地が残されている)。もちろんそれはメリットでもあるが、生き残ることはできるのだろうか。

 

 

(2019/02/28)

やっぱりツイッタ向いてないから試にここをツイッターとして使うか。

朝からウィキペディアオウム真理教の修行の欄を読んで恐怖に震えてる。

彼女ができる方法は金髪にすることではと思った。何故なら金髪の人は彼女がいるような気がするからである。

春になったら西宮、神戸に行くことにした。前にも書いたけどハルヒ巡礼を行う予定。いまさらだけど。神戸の洋館とかは前にほぼ全部回ったけど取りこぼしがあるから行くか。他にも神戸にはちょっと行きたいところがあるというか本当はそこがメイン。

やれたかも委員会は2巻で飽きたな。暇なときに入ってしまったKindle Unlimitedだけどまた解約だなあ。読み放題でもそんな読みたいのないしな。

実は漫画はかなり苦手でほとんど読めない。集中力が続かなすぎる。

電子書籍だけどkindle paperwhiteは持っていても市販の書籍はほとんど読まないんだけど、やっぱり紙の本のほうがいいのはインクのにおいどうこうではなくて電子書籍だと集中して読めないんだよな。集中して読める人ならいいんだろうけど。なので使ってるのは自分で書いた文章を読むのが一番の用途かなあ。

母親がわけ合って新車を買うと知り、昨日から怒りとやりきれなさに震えている。

前に言いそびれたけど、ジエチル君 氷菓見てなかったのか。

小説とアニメで折木奉太郎の人格は結構違う気がする。自分は小説→アニメの順なのでそう違和感はなかったけど逆だとどうなのだろうか。

今日はこれくらいかなあ。

アニメ Angel Beats! 二回目視聴の感想(2)

またエンジェルビーツに考えていたので少し追補。やはりABは糞アニメという評価が出てくるのは仕方がないというか、神への反抗といいつつ実際にやってることといえば食券を巻き上げたり、テストで天使を落としいれたりすることなのだから、茶番に見えてもしかたがない。まあ実際に茶番なのだが、モラトリアムの話なんだよなあれは。

それにしてもゆりっぺの感情が浄化された理由ってなんだっけ。12話を思い返してみてもよくわからないのである。まさかモニタ破壊が気持ちよかったからではないだろうが。
ではゆりっぺの感情の浄化に繋がるような、またしても物語上の別の可能性を考えてみよう。

 ①ゆりっぺが仲間とのつながりを確信する。 ②天使(かなで)と和解する。 ③ あの世界の真相や意味を知る。 

死んだ世界戦線ラブライブのようなみんな連帯といったところはなく、特に仲間意識もなく最後も銘々一人ずつ消えていく。しかしここで皆と出会えた、という点はゆりっぺになんらかの意味をもたらしたのだろうか。なんにも描かれてないが、そもそもABは茶番なのである。俺たちの戦いはこれからだ!俺たちの戦いは終わった!という連帯意識はそもそも意味を持たないのである。そういえば最後に残る四人以外はいきなり消えていた。最終話になって本当に突如としていなくなっているのである! あれも思えばあれでよかったのかという思うところではある。というのは最終話は平和な感情が流れてるんだけど、校歌歌ったりやってることといえばどうもつまらない。まあメンバーが全員残ったとして、一人一人を描くのは無理だったろう。

②神の御使いとされる天使と和解するのは神と和解する象徴的表現と受け取ることができる。かなでと出会って、ゆりっぺが初めて本当に心を許せる相手ができた、という展開。しかしかなでは最初から天使ではなく、かなでとゆりっぺが仲良くしているシーンなど描いても和解するもなにもなく、そもそも死んだ世界戦線は最初から天使に敵対する理由などないのである。つまりABは茶番なのである。1話では一体どうしてかなでをスコープで狙っていたのだろう? その後のかなでをテストで落としいれる場面では一緒に教室にいるのである! その時に狙えばいいのにと思うが、別に天使の命を狙っていたのではないらしい。深く考えてはいけない。

③ ゆりっぺが神に対して敵対するのは、自分の理不尽な運命の理由を知りたかったからといえるだろう。だがこの問いには直接答えることができない。何故ならそれは我々のこの世界でも大問題といえるからである。しかし世界の真相を知ることがどうしてゆりっぺの感情に関わりがあるのか。
またしてもどうでもよくなってきた。もう一度アニメ本編を見返してみる必要がありそうだ。

はい12話の最後の場面ちょっと見直しました。そもそもそんなに唐突でもなかった。一体今までの考察はなんだったのか。大ちゃぶ台返しである。そもそもあの世界は消えようと思えばいつでも消えられるような世界なのである。ゆりっぺのシーンはあれでだいたい十分だったのではないか。神への反抗というテーマからすれば、もっと深遠なところまでテーマ的に掘り下げていって欲しかったというのは確かだが。 

もういいだろう。真面目な考察をして本当はABを肯定的に評価したいはずなのにどうしてこうなってしまうのか。まあ可能世界の話をしても実際にそうはならなかったのだから、空しいのは確かだ。麻枝も不十分な点というか色々思うところあってゲーム化したんだろうけど、ゲーム一巻目は確か松下五段の話だったと思うが過去の事情を描かれてもやはり特に面白くはないのだった。SSSメンバーが何人いるのか忘れたが、全員の話をやるとそれはそれは大変だしマンネリにもなるだろう。続編が頓挫したのは必然だったのだと思う。

もちろん私はABを糞アニメだとは思っていないのでこうして色々考えているのであるが、茶番的に見える部分とシリアスを両立させるのはやはり大変だったというか、死語の世界という特殊な世界観だったため色々と齟齬が発生したものと思われる。だが神への反抗というのは普遍的なテーマであるはずなので、そこを象徴的に観れるかどうかがAB評価の分かれ目な気がする。

次はシャーロットを見て思うところあれば考察しよう。ゆりっぺは天使。ゆりっぺは神。以上。

 

アニメ Angel Beats! 二回目視聴の感想

思うところあってAngel Beats!を見直した。前に一度見たっきりで、今回は二回目の視聴となる。
初めに見た当時は大変面白く見ていたのだが、最終話でやっぱりこうなるんだなという感想を持ち、マンネリというわけではないが麻枝准のいつもの手法と同じではないかと思いそのまま納得がいくというものではなかったのである。それで今回は……

いやはや評価が難しい。ABは糞アニメとの評判がずっとあるのだが、さすがにそれはないだろう。だが失敗作とも、最高作とも、どれも言い難い。個人的な好き嫌いで評価してみても、嫌いとは言えないがはっきり好きというにはためらわれるものがある。見直してみればABに対しての評価が定まるのではないかと思っての再視聴だったが、逆に評価が難しくなってしまった。

最初から見ることで新たな発見はあった。日向とユイの来世の希望を語るところはやっぱりいいものだったし、ゆりっぺの(記憶というか幻想の)教室シーンは私の記憶から抜け落ちていたがあの場面も好きだ。あと最終話の音無がかなでの心臓の音(つまり自分の)を聞いたことがきっかけとなり記憶を取り戻したという、これも最初は気づかなかったのでなるほどと思った箇所ではある。

 だが、しかし……この作品は特に12話におけるプログラマーは誰なのとかここは一体どういった世界なのかとか、かなでが音無よりも先にあの世界にいたのはどうしてかという謎があって、しかしその答えは本編を考察してもちょっとわからない、はっきりとは確定出来ないところがある。まずそういった設定面のモヤモヤがABを評価する際の難しさになっているという点が一つ。あと今回再視聴した最終話をどう評価するかという点、最後の音無の行動がクズだとかなんだかと叩かれる原因になっているが、私にはそこは共感しかない。それ故に他の可能性はないのか、エンディングはあれが正しかったのかという思いがずっとある。
ここでは創作的な立場からエンディングの可能性を考える。つまり作者の立場から他のあり得たかも知れない展開を考えてみよう。(そんな作品評が有効なのかという点はまあ置いておき、ただ私は特に納得のいかなかった作品に対してどうしてもそういった想像をしてしまうのである)ABエンディングのほかの可能性 音無の希望通りかなでとともにあの世界に残り、迷い込んだ生徒を助けながら楽園としての生をすごす。 音無はかなでとともに来世に希望を託し、二人消滅することを受け入れる 現状アニメに描かれた通り (他にもあるかもしれないが、差し当たり思いつかない)

さて作者の麻枝准であるが、「泣かせ」の名手として有名なのは言うまでもない。(私は元々だーまえのファンではなく、kanonおよびAirはゲームでプレイしたが他の作品は未プレイで、比較しての考察ができないが)であるからにはエンディングで当然最大の泣かせ演出を持ってくる、ということになるはずだ。だからというわけではないが、は物語展開からしても当然却下される。かなでが音無の想いを受け入れ、あの死後の世界でともに暮らすなんて展開になったらさすがになんじゃそりゃというものだろう。当然実現はできない。でははどうだろうか。これなら日向とユイのパターンと同じで、音無とかなでは生まれ変わって出会ったら二人でなにがしたいのとか、一緒に麻婆豆腐が食べたいとか会話する。それでも十分感動的な「泣ける」展開になったはずだ。

さて実際に描かれたを見てみよう。最後かなでは「ありがとう」という言葉を音無に言い続けるのだが、かなでは感謝の言葉は伝えたかったものの音無と同じような異性としての愛情は持っていないように見える。音無は消滅できたのだろうか。それもどうも難しそうに思える。というのは迷い込んだ生徒の助けをするという新しい望みを持ってしまったため、もはや消え去ることができずあの世界に一人留まるしかなくなり、それがアナザーエンディングにつながるというわけだ。(ちなみにそう考えても最終話Cパートとは矛盾しない。あの場面は音無がこの先いつか消滅した後としても問題はないため)音無がAngel playerの作者とする考察もあるが、本編に判断材料が乏しく確定は難しい。どうもあの12話のプログラマーの話は、この先の音無の姿を暗示したものと思えるのである。それ故あの実際に描かれたエンディングは、ただただ残酷で痛ましいものではないかという感想を持ってしまったのだった。

何故フィクション作品が実際に書かれた展開の通りになり、他の展開(他の可能性の実現)に至らなかったのかは特別な理由があるわけではないだろう。当然、物語の展開は作者の意識ひとつでどうにでも変化する。しかしやはりあの本編のプログラマーが気がかりだ。こう考えてはどうだろう、つまり12話で自らをNPCとせざるを得なかったプログラマーの存在が提示された故に、最終的にの展開が必然のものとなり、音無は彼の運命をなぞらざるを得ない。もしの展開になっていたとしたら、12プログラマーの話は本編から浮いてしまい、逸話としても中途半端なものになり何か抜け落ちてしまうような気がしないだろうか。ゆりやSSSのメンバーは12話まであの世界がなんなのかという考察をせず、少し唐突にも思えるが世界の成り立ちが語られるあの話は物語に深さと重量感をもたらすためにも必須だったはずだ。

他少々残念だと思う箇所 かなでの内面が描かれてなく過去の出来事も音無の心臓を受け取ったというだけなので、感情移入が難しい。もっと音無と交流があってもよかったのでは。尺がなかった?  かなでがピアノを奏でる場面が本編にあってもよかった。 ゆりっぺの感情が浄化されるところ、やはり少し唐突では。

それ故にジレンマがあって、私の個人的な感情移入先はやはり音無にあるのだが、しかし物語展開に問題はなく現状描かれたままを受け入れるしかないという結論になりそうである。私にとって Angel Beats! は結局つらい作品である、ということになりそうだ。(さて一夜明けて読み直したが、飽きっぽいので正直もうどうでもよくなってきた。もうこれでこの項を終わる)なにか疑問点や異論が提示されればここでの考察も進むかもしれないが、もはや誰もこんな作品に拘泥していたりはしないだろう。しかし私にとってはずっと引っかかっていた作品ではあり、……(疲れた、やめる。文章が浮かばない)。

さて以上は前置きで、私が好きなのは音無よりも、やはりゆりっぺなのである。ABの何が問題だったかって、ゆりっぺが可愛すぎてつらかったのである。ゆりっぺは陰惨な事件を経験した過去があり、ハルヒと同じENTJ型の性格にもかかわらず(MBTIの性格診断で、キャラクターに対しても適応できるのでなかなか面白い)、本当は妹と弟に優しい姉だったという。好きにならないはずがない。Brave Songを聴いていると魂が溶けそうになる。My Soul,Your Beats!が音無とかなでの歌だったのに対して、これはゆりの歌だったのか。今までちゃんと歌詞を意識したことがなかった、聴いていると泣ける。ゆりっぺこそ真の天使なのでは? しかしABのゲームは中断したようだが、それで正解だろう。モブキャラの過去の話を全員やられてもどうなのというところはあるし、それになによりも音無とゆりっぺのセックスシーンなど描かれたら気が狂いそうになる。いや全年齢対象だからセックスはないんだっけか。私は発売日に予約して買ったのだが、クリア後すぐヤフオクに売ってしまった。しかし付いて来た特典がたしかゆりっぺの風呂タペストリーだったと思ったが、あれだけ取っておけばよかった。ゆりっぺと恋愛がしたい。ゆりっぺのいい匂いをかぎたい。ゆりっぺの未来が幸福で納得のいくものでありますように。以上。終わる。

ハルヒリバイバル(2)

いつものように推敲していないたどたどしい文章だがもう少しハルヒについて書きたい。映画の涼宮ハルヒの消失についてである。当時映画館で一度だけ見て、今回また見直した。いやはや、これは。別世界の長門がとにかく痛ましかった。これは三浦先生が言ったように悲劇ではないか。特にあの鍵がそろうシーン、文芸部にハルヒと古泉が入ってくるシーンは残酷極まりない。なぜって、長門はずっと部室で一人キョンの到来を待っていたのである。それが待ち続けてキョンがやっと来たと思ったら、自分の知らない男と女を連れて来てるんだよ? あれはリア充の闖入ではないか。知らない人間をいきなり連れてくるとかいわゆる陰キャに絶対やってはいけないことじゃないか! それに文芸部の入部用紙を長門に返すシーン、長門はうまく受け取れないんだよ? どんだけ残酷なのかと。更にまだある。長門にワクチンだったかを打ち込むシーン、キョンは敵に相対するように長門の前に出て行くのである! やあやあお出ましだね、って感じで。そして改変した長門にこんなところで何してるんだと訊くのだが、長門は「さんぽ」と答えるのである。実際このときの長門には以前の記憶がないのだろう。それを、キョン、お前……長門にためらいもせずに銃を打ち込もうとするキョン。二重三重の残酷さである。三浦先生のように非日常にのめりこむ超常現象中毒者とも言いたくなってくる。

最初映画館で見たときはやっぱ小説のほうがいいなと思った消失だったが、見直してみたらとにかく長門が異常なかわいさでとにかくつらかったという……それで今まで見ようとはしなかったアニメ長門有希ちゃんの消失を見てみた。まあそれほど悪くはないんじゃないでしょうか。とりあえず1話だけ。

また映画消失の話に戻るけど今後ハルヒの続編が出たとして完結まで消失別世界長門のキャラが出てくることはないだろう。今後長門に感情が芽生えたとして、あそこまで露骨な表現はされない可能性が極めて高いだろう。じゃあ消失の長門はどうなったんだ? 消失はパラレルワールドを否定している。あの長門の存在は一瞬の夢にすぎなかったのだ。しかし、救われない。あのような長門を描いてしまったからにはもう救われねえんだよ。かわいすぎるよ、長門長門有希ちゃんの消失じゃ満足できねえんだよ、ああ、長門……救いてえよ、どうかあの世界の長門が救われますように。と久々にアニメキャラに対するメサコンを発揮してしまったのだった。俺はフィクションに対する感情移入の度合いが低く、架空のキャラクターに対しても一切の同情はない、キャラが煮えようが焼かれようがどうでもいいとか思っていたのだが、そんなことはなかった。長門が逆に俺の感情を取り戻してくれたのである。(まあこれは冗談だが)

ちなみにエンドレスエイトの驚愕を三浦俊彦から送ってもらったことで心理学者の渡辺恒夫氏もハルヒにはまってしまったらしく、どうやら長門萌えのようである。結構なご高齢の方ようだが、ハルヒすげえよ……

あっあと小説になかったラストシーンだが「笑うのをこらえている」という解釈があって当時映画を見たときはもはやシーンを忘れていたのでよくわからなかったが、なるほどね。そうだろう。より正確には「笑みがこみ上げてくるのをこえらえている」というか。

消失聖地のサイゼリヤ北夙川店だが今はもう弊店してしまったが、以前一度行けてよかったと思う。そのときに図書館も行った。当時はそれほど熱心ではなかったので喫茶店とか他の場所は行かなかったんだけど、今年春に神戸に行くことにしたのでハルヒの聖地を廻ってみる予定。喫茶店が移転してしまったのは残念だが。

ハルヒリバイバル

エンドレスエイトの驚愕』三浦俊彦 いやいや噂どおりすごい本で、この本に仕掛けられたループに従い続けて二回ほど通読した。現在は第三版であり売れているようで非常に喜ばしい。おかげで世間でもハルヒリバイバルが来ているように見受けられる。この著作の存在がエンドレスエイトというよりはハルヒという作品そのものの評価を押し上げたのである。

内容についていくつか書きたいことがあるので、あとで書く予定。ちなみに三浦俊彦のことは『多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス』で知っていて、様相論理の本も前に買ったがまだ読み終わっていないので、再挑戦する予定。

個人的にもハルヒリバイバルが来て、アニメを全話と消失を見直してみた。エンドレスエイトもそれなりに楽しめた。どういった見方をしたかというと、各回の演出の違いに注目するという、ベタでメタな見方ではある。三浦先生はエンドレスエイトそのものは見る必要はないとしているが、見て楽しもうとしたらメタ的に演出に注目するしかないのではないか。ちなみにエンドレスエイトIVのクオリティが抜き出ている。と思った。Vの最後の時計の演出もいいが。

ハルヒ小説の思い出についてを若干。アニメ1話が当時話題になり、素人が作ったような映像をいきなり流すという特異な演出に驚き、それから小説を買ってはまってしまったのだった。書店で文庫本を買うとその足でファミレスに入って夜通し読む、ということをしていたのである。思えば私がシリーズ物の小説を夢中になって読んだ経験はあとにも先にもハルヒだけだったのだ。

ハルヒには黙示録的なところがある、というのが当時思った感想だった。「私はここにいる」という言葉が出てきたときには驚いた。何かすごいことを語ろうとしているのではないかと。私にはこの小説は青春SF物語という表面上の見方を超え、何かSpiritualな事象を語ろうとしているかに見えたのである。

しかしその後原作は停滞、続編が全く出なくなってしまった。驚愕の後編が出たときにはすぐ買ったが、もはやハルヒ熱も冷め内容については残念に思ってしまった。それまで作者本人が夢中になって楽しんで書いていたのが、途轍もなく努力して苦しんで書いている様が文章からありありと伺えたのである。内容に触れると閉鎖空間の「神人」がどのキャラをだったか忘れたが手のひらで受け止めるという描写があったと思うが、もはや(谷川流の)内面の衝動は充足してしまい物語を続ける気力はなくなってしまったのだろうかと思ったのだった。

だが「エンドレスエイトの驚愕」はもう一度驚愕を再読する機会を与えてくれたのだった。もはやダンボールにしまったままどこに行ったか探さないと見つからないが、憂鬱から全部読み直す予定である。驚愕に対する評価は変わるだろうか。

ちなみに国会図書館に行く機会があったので『あてずっぽナンバーズ』と最新作の「七不思議オーバータイム」を読んできた。キョン諧謔とユーモアは変わらずにキレキレで、この文章がハルヒの芸術性を押し上げていることを再確認した。とにかく続編が出たことは誠に喜ぶべきことであり、完結までエンドレスエイトの600何十年ほどにはかからないことを祈りながら、続きを待つしかない。

(2019/01/09)

その昔PS2で旧KIDから出ていたノベルゲーを結構やっていたのだがMy Merry May with beと12RIVENのことを思い出していた。My Merry May with beはとにかくお話がつまらなく読み進めるのが苦痛なほどだったがメイビーのほうになったらそこそこは面白くなったが今はもうほとんどといっていいほど内容を忘れている。ただメイビーの舞台である海辺の田舎町の雰囲気は良くてそこが好きだった。あとこの作にはある仕掛けがあるのだがああいったギミックは好きで他に使いたくなる。あとは少しネタバレだが作中であるキャラが死ぬのだがキャラ攻略毎に死ぬのでじじい何回死ぬんだよ(笑)とだんだん笑えてくるのである。思い出せることはそれくらい。だけどほんとに雰囲気とギミックはよい。あとは忘れた。以上。

12RIVENこれはシナリオ途中までのストーリーがめちゃくちゃ面白いのである。少しネタバレすると人がいなくなった?どうして??? 志村クラブってなんぞや?大変ありがたい志村クラブよりの御信託。だが最終シナリオ、あれはなに? 一気に面白さはトーンダウン、もはや残念な思い出しか残らない。ほんとにこの最終シナリオさえうまくいっていれば最高の作品になったはずなのに。ちなみに一枚絵のCG絵も本当にひどいできです。

でこういった自分的に残念な出来の作品があると、どうしても、この作が名作になるにはどうしたらよかったのかとか考えてしまうわけだ。そういった消化できない思いが私のなかで延々と残り続けてしまうわけです。それで今日は悶々していたのだが、やはりこれでは伝わらないな。どうしよう。

いやーやっぱりギミックのある作品って好きで、でもEver17はそんなに評価してなくてそれよりRemember11のほうが好きという人間なのだが、あと小説だと乾くるみの「スリープ」を推している。でもう一回読み直してみるかと思った次第。でそういった小説を書く方法はあるのかとか考えて悶々としているわけです。それで小説の可能性というのはあるのかとか色々考えていた。うーん未消化だがこの話はこれで以上です。

(追記)あと浦賀和宏が好きなのもそこなんだよな。奴は結構いろいろやっている。