真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2020/05/30)

テラスハウスで起きた問題について、森達也ツイッターを見たところメディアとリテラシーについてのいつも通りの論調だったのでそこは少し違った話を聞きたかったという思いがある。視聴者側がもうちょっと賢くなればというけどああいったリアリティーショーというものは巧みにリアルと錯覚できるように作られていて森達也さんの作るドキュメンタリー映画と実は非常に近い位置にあるのではないか。あれはフィクションとリアルの合間に存在するやっかいなコンテンツで通り一遍のリテラシーを強調するだけではどうにも足りないように思える。番組側が炎上をけしかけるような製作をしていたこと、またそれ以前にネットリンチが常態となったSNSはおかしいというのは前提として、ああいった人間模様を見たいという欲望は人間のなかなか大きな部分を占めていてリテラシーではどうにもならないんじゃないか。誰と誰がくっついたとかその場にいない人についての話が大好きなのが我々でありこれは例えばフィクションとしての作品に対しても同じで、アニメの二次創作界隈などというところを見ていて驚いたことだが登場キャラクターに対してヘイトを書き込んでいる人が結構いるのである、それは作者がそう作ってしまったのがいけないのではないかと自分なんかは感じるのだが。それにしても誹謗中傷が話題になっているツイッターは対策としてリプライ、RT、引用RT、いいねができない投稿ができるように細かくオプションを設けたらいいんじゃないか、それでもスクショを撮って叩くような輩はいるだろうがそれだけでだいぶましになるのでは。しかしかつて2ちゃんが便所の落書きと言われたがツイッターがそれ以上にひどくなったのは構造的な……(疲れたのでやめる)

 

『天気の子』の円盤が発売されたのでブルーレイで借りて見た。うーん杉田俊介が言っていること以上に根本的な違和感がある。『君の名は。』では勢いで乗り切れたがそれというのも途中の劇的な展開とそれに夢のような状態でやりとりするという特殊な状況があるからで、同じようなPV風の作りをした今作は丁寧に場面を作ることが回避され、キャラクター同士の感情の交流がスポイルされてしまった(もっと場面を作るべきだった)。最後の最後は会えてよかったねという思いと、しかしそれが演出(歌)によって阻害されてしまうような妙な感覚があった。しかし一つ一つの瞬間的な映像や場面は今思い返しても綺麗だし大変いいものに感じるのだが。