真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

映画『君たちはどう生きるか』感想

ネタばれ防止のため、関係のない文章をコピペします。

ヒューマニズムに根差した良い本は、
時代を超えて人々の心をつかむのです」
(ジャーナリスト/池上彰さん)
1937年に出版されて以来、数多くの人に読み継がれてきた、
吉野源三郎さんの名作「君たちはどう生きるか」。
今回前書きを書いてくださった池上さんも、
小学生時代に、父親から渡された当初は
読もうとしなかったのですが、気がつくと夢中になって
どんどん読み進んでいたと言います。
人間としてどう生きればいいのか、楽しく読んでいるうちに
自然と考えるように書かれた本書は、子供はもちろん
多くの大人たちにも共感をもって迎えられてきました。
勇気、いじめ、貧困、格差、教養、、、
昔も今も変わらない人生のテーマに真摯に向き合う
主人公のコペル君と叔父さん。
二人の姿勢には、数多くの生き方の指針となる言葉が示されています。
活字も大きくなった読みやすい新装版で、
ぜひ、色褪せない名作の面白さを堪能してください。
《全国学図書館協議会選定図書》

 

異様なムービーであった。
千と千尋以降の宮崎駿では妙に幻想的なヴィジョンが出るようになっていたが、その総出という感じ。
冒頭、真人は母親のところに向かうがその場面を詳しく描いたりせず、駿は一切の感傷をぶった切る。しかし後の場面にて真人の夢の中の話として描く。ついにマザコンとされる宮崎駿が母親を探しにいく物語を作ったのかと、また幼いころの駿が戦時中に道行く人を助けられなかったというエピソードも思い出し、わたしは涙が出た。
だが……
話はなぜか夏子さんが消え、真人が夏子さんを追いかける形になった。その過程で少女時代の母と出会うのだが、母を求める話かと思いきやなぜ夏子さんを追うのか、わたしにはうまく把握することができない。
さらに真人はなぜか夏子さんの出産の場面に入り、そこに案内するのは少女時代の母である。どういうことなんだ。少女が真人の母であることがわかるが、千と千尋でもハクの正体が明かされるところにしても、ななんだってー感があったと思うが、こちらは実にあっさりしている。
溶けていく母の姿はイザナミで、ラストの少女はコノハナサクヤヒメで火の中で出産するという話なのかな。しかし駿はまったく感傷を描くことを許していない。最後の扉に飛び込むところ十人中十人の監督は泣けるように感動的に演出するであろうところ、駿は実にあっさりと切断する。結局のところ駿は一切の感傷を許さなかった。
大叔父の話で「悪意」と言われていたと思うが、おそらくあのインコの群れは軍需産業に従事している人たちで、戦争もまた同様の小さな悪意が引き起こしているということなのだろう。
さらに継承の話が出てくる。大叔父はなぜ後継者を探していたのだろう。たしかに駿自身の姿に重なるが、超絶的な存在にも思える。村上春樹『街とその不確かな壁』の微ネタばれになるけど、そこにも後継者の話があったりする。

ジブリの過去作に似ているという感想もあるが、空に上っていく小さなあれとか、幻想世界の夏子さんの出産の部屋、大叔父の積み木、ドアの続いている部屋、と今までの駿にはなかったイメージが出てきているようにも思う。絵のヴィジョンだけなら空に昇るあれはコダマを思い起こさせるが、「これから生まれる子供になる」みたいに言われていて、はっきりと言ってしまうんだなという。ドアが続く部屋には現世と来世の中間のイメージがそのまま表れていて、それも妙な感じだ。鳥ばかりが出てくるのも、現世と来世をつなぐ象徴なんだろうなと。
ポニョのように神話的な壮大なイメージが表れているわけでもなく、また新海誠のように「古層」を暗示するわけでもなく、異様なヴィジョンがそのままに表れている。現世に戻ったあとすぐに忘れてしまっている千と千尋に対し、君生きでは持ってきた石のおかげで記憶はあるが、アオサギは徐々に忘れていくだろうみたいなことを言っていた。今作は駿が忘れたものの詰め合わせがごちゃごちゃに混ぜ合わされてそのまま出てきたんだなと。今作はわたしたちが期待していた駿の説教ではなく、『君たちはどう生きるか』の小説はそのまま「君たちはどう生きるか」という問いかけで終わっていたと思うけど、生命を謳歌するわけでもなくまた悪意を糾弾するわけでもない、メッセージなきメッセージ「君たちはどう生きるか」であった。

君たちはどう生きるか」その言葉を受け取ったわたしがまずしたことは、深夜の山岡家にラーメンを食べに行くことであった。