真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2023/09/30)

アニメ映画『すずめの戸締まり』の円盤が9月20日に発売されたのでその日にさっそくブルーレイをレンタルして家で観ました。やっぱりそんなにいいわけではないけどまあいいんじゃないでしょうか。映画館で観たときよりはいいですね。私と新海誠の映画館での相性は悪くで映画館で見るといつもあんまり感激しないんですが、その後家でテレビで見るとまあ悪くないんじゃないかと思うという。『君の名は。』だけは映画館でもよかったけど。やっぱり家のテレビで見るほうが映像は綺麗なので映像のせいで許せるようになる部分はありますね。あと映画館というのは単純に音が大きいので私が新海の好きではないところが強調されるのかもしれません。
それで『すずめの戸締まり』ですが、最後の方の台詞を勘違いしていまして、「死にたくない」と言ったのはすずめではなく男のほうでした。私はすずめが「死なんか怖くないと」言っていたのに、自分が死ぬことを自覚できるようになったという意味の台詞だとは思うけど死にたくないと発するとは何事だ!彼岸に赴くとはそもそもが死に近づくということだろうが!それなくして一体何が達成できるんだ!と憤っていたんですが、勘違いでしたねはい。あと気になっていたのは茂木謙之介の批評(https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/suzume-tojimari-movie-review-2022-11)にあったことで廃墟と震災の被災地が同列に接続されているということと、あとはすずめの行程が平成流の天皇を模範しながらも新海は皇居の地下の古層に興味があるんじゃないかということです。あと村上春樹の『かえるくん、東京を救う』との関係で、あの話では震災と地下の闇に潜むものが関連づけられているのは確かなんですが、しかし闇との戦いは主人公が気を失っているときに無意識のうちに事が進むものです。ここでの震災は阪神・淡路大震災、また闇に潜むものはオウムによる地下鉄サリン事件を示唆するものでもあります。震災と闇に潜むものとの関連ははっきりとしたものではなく、だからこそその二つを結びつけるようにして小説の形で示唆することに意味があります。しかし新海誠は閉じ師という役割を登場させて闇の力を封じるという戯画化を行ってしまい、震災と直接に関連付けられるのです。あと一つ、すずめがかつて住んでいた家に向かうところ、このシーンの国道6号線福島第一原発周辺の風景は実際の風景とよく似ており、大変リアルに描かれています。ですがすずめが小さな地震があったことで車を降りて高台に行ったときに見る景色、その風景は国道6号線の風景とは違って現実には存在しないものなのです。周囲に高台はありませんし海は見えず、また原発も見えません。ここですずめは芹澤が言った言葉を受けて「ここが、きれい……」と言葉を濁し、そのあとに黒く塗りつぶされたノートのショットが挟まれます。実際にはない風景を作り上げてこのシーンを入れた新海の意図を図るのは難しく、私はそれをはっきりと指摘することができません。ですが『君の名は。』の冒頭における「夢の景色のように、ただひたすらに美しい眺めだった」という台詞に対する自己批判のようなものを感じるのも確かです。綺麗な風景を作り上げて捏造し、その下に黒く塗りつぶされたものを演出するという、ここはなかなか事情が込み入っています(もっと深く考察するべきかもしれませんが、原発との関連もあって大変なのでこの話はここで終わりにします)。まあ以上の点あって『すずめ』は積極的には評価できなかったんですが、再視聴したところ、まあいいんじゃないでしょうかという評価になりました。作家の樋口恭介は炎上した人に対してNice tryだったと褒めるべきということをおっしゃっていましたが、『すずめの戸締まり』はNice tryだったと言いたいように思います。これは批評の放棄でしょうが、私には結局よくわからない。他のことはわかりません。Nice tryだった。あと次はまた別方面にて新海誠はtryしてほしい。