真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録 日々怪文書を作成しています

グラスリップもう何度目かの視聴のあとの感想

新しくそれなりに大きなテレビを買ったのでグラスリップのブルーレイを見た。映像が綺麗でやはりブルーレイはよく、通して見るのは数年ぶりでたぶんこれが5回目くらいだが、見るたびに発見がある。見終わったあとやはり私はこの作品に捕らわれているのだなと改めて感じる。グラスリップ以上に美しく深遠な詩的アニメーションがあるのだろうかと真面目に思っている。よくわからない点については質問箱のようにこれはどういったことなのかという質問があればだいたい答えられると思う。作品の欠点と思われた部分も何度も見てくと実はそうではなく、13話は今まであまり好きではなかったが、新しく解釈できる部分がありこれでよいのだと思えた。例えば透子の能力は遺伝的なものというよりも、子供から大人になるにつれキラキラしたものを失ってしまうと捉えたい。そう言ったところで未来のカケラがなんだったのかという問いにある程度は答えたことになるのかもしれない。キラキラした未来だと思ったものが、海での場面のようにやなぎから発せられる黒い鳥として見てしまうように、あの場面では相手の感情のヴィジョンを見てしまっている。(駆の場合は単に声が聞こえなくなる。)未来のカケラも重要だが他にも「美術準備室」に注意すること。キャラクターそれぞれに「わたしの場所」が設定されている。美術準備室では魂の(という言葉を使いたいが)奥底の場所、常に雪が降っている、私秘的な、その場所はもちろん孤独と関係している。自我の精神の輝きとしての花火の表現。駆が最後どうなったのかについて、重要なのは駆と透子の未来のカケラについて2話にて語られる設定だが、ここは本当に見落としやすい。(エンディングの最初の絵は何話だったか忘れたが、駆と透子が同じ映像を見て声を聞く場面に続いている)。やはりこの作品について一言で言い表すのは難しく、解説ではなくグラスリップについて批評することはとても難しい。とはいえ言いたいことがないわけではない。それはやはり未来について、相手の境遇をヴィジョンとして観取することについて。東浩紀グラスリップについて何か言ったことはなかったと思うがきっと興味深いはずだ。12話は多数の生を生きるキャラクターの描写と受け取れる。