真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2023/05/22)

文フリ反省点

移動は車。

ダイソーで買ったカードスタンドを家に忘れたことに気づき、平和島ドンキホーテに行くが売ってない。仕方ないのでそこで売っていた石鹸の箱で代用した。

ヤマト運輸にポスターを取りにいくも、ちゃんとそこのヤマトの住所を書いたものの「営業所留め」を書き忘れていたせいかどこかに持っていかれてしまっていたらしい。でも10分ぐらいして受け取ることができた。やはり「留め」と書くことは必要であることがわかった。ポスターはプリオという東京にある会社に依頼。マット紙にラミネート加工で市販のクリアポスターのようになり、実際の絵よりよく見えてよかった。価格も安くて納期も早く、RGB入稿で発色もよいので素晴らしい印刷会社だと思う。

だがこのポスターは机の前に貼ったものの、販促にはまったく意味がなかったと思う。人から見えないのである。他に卓上popスタンドを持って行ったが、机前側はどうでもいいので目立つためには床置きpopスタンド一択だと思う。それも最初は考えたのだけど、今回は初参加ということでやめておいた。だけど使っている人は結構いた。コミケのように貸出してくれないので自分で持っていくことになるが、これは必須だと思う。ただ自分のサークルが床置きpopスタンドを使ったところでどのくらいの人が足を止めてくれたのかは疑問ではある。

前半は結構売れてこのままだと完売もあり得るのではないかと思ったが、後半になるほど売れなくなり終盤はまったくだった。原因はいわゆる客層が入れ替わったこと。評論は第二展示場となり、開始時間からここに来る人は最初から評論本を求めてくる人がほとんどのはず。だが後半になるとおそらくは第一展示場に入った人やそれほど最初から買うものが決まっていない人も来る。そうなるの自分のスペース前にはほとんど立ち止まってもらえなかった。

もちろん見本誌コーナーに見本は一部提出したのだが、売り場の前で読む人のためにちゃんと「見本」と書いた紙を貼っておくべきだった。途中から貼ったが、見本用の透明のカバーは用意していなかったのでこれは必須だと思う。

ただ自分の場合、ほとんど買うことが決まっていて見本は見ずにすぐに買ってもらえるか、見本ページを少しめくったあとに買ってもらえることがほとんどだった。見本を長く読んでいる人は買わないことが多かった。これは他でも同じなのかもしれない。

後半は道行く人になかなか立ち止まってもらえず、それこそ「誤配」ができなかったのは残念で反省点だが、これは仕方がないとも思えるがもうちょっとやり方もあったのかなというところ。

一番うれしかったのが最初「友人がグラスリップが好き」と話していた人が買ってくれたんだけど、あとからその友人の人かどうかはわからないが、「友人が絶対買うべき」と言うから買いに来たという人がいたことだった。「届いた」んだなとそのときは実感できた。

だけど終了から今まで、ほんとうにこれでいいのだろうかと思いはずっとある。それは公的な観点と個人的な観点とがあるが、おそらく交じりあってもいる。その理由をここではっきりと書くのは難しいようにも思う。それはやはり……届くべきところに届けるのは重要なことであると同時に、やはり短歌や小説を買っている人には届かないのだろうかという思いがある。自分は気負いすぎなような気もする。だが次の文フリではおそらく小説カテゴリで新刊を出すことになると思うので、どうしてもそうした考えが憑きまとう。

あと、書くことは積み減らすことなんだなということを実感できた。この積み減らすという言葉は岡本太郎が言ったことだが、ミニマリズムの文脈で参照されている言葉のようだけどほとんど書くということには必然で、本当に「積ん」で「減らし」ている。原稿が終われば開放感がやってくるのではないかと思っていたが、そんなものはやって来ないことがわかった。おそらく、完売しても本当によかったとは思えなかったのではないだろうか。短期間の執筆で消耗しすぎたということはあるが、それでもやり切れない思いというのが消えない。

わからない。だが次は別のカテゴリに移動し、次の文フリで何かまた別の感想が得られればと思う。