真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2018/08/11)

映画は万引き家族未来のミライに行きどちらも大変よいものであった。是枝監督の映画は結構昔に新文芸坐のオールナイトで観た「誰も知らない」と「DISTANCE」の二つが最高だと思っていて(三度目の殺人とかは観てないが)やっとそれに並ぶ作品が出たという感じである(オールナイトでは監督本人が上映前トークで来場していた。最後のワンダフルライフで寝てしまったが)。内容も誰も知らない+ディスタンスのようなところがある(誰も知らないのテーマとディスタンスのサスペンス的なところなど)。

未来のミライは元々私がアンチ細田守なので細田の映画で感激するとは思わなかった。正直暇つぶしになればいいやくらいの感覚で行ったのだが観はじめて数分これは実はすごい映画なんじゃないかと思い始めネタバレになるからあまり多くは書かないことにするがオートバイとTOKYO駅は感激した、舞台になった場所を知っていることもあって幻想のISOGO駅とかああいったものを出したのはすごいなーと。

また海ほたるのアニメ見て泣いてる。これもう生涯最高のアニメだろ。

この夏の暑さのせいでバイクが長期入院に入ってしまっていたが(原因は燃料ポンプのパーツに問題がありヤマハ車には多い)、直ったらしい。ありがたい。

やっと藤子・F・不二雄ミュージアムに行けた。F先生の本棚再現は特に感激した。

f:id:glamaje:20180811134711j:plain館内は撮影禁止なので……

 

(2018/07/28)

いやはや台風12号にはまいった。浅草のサイゼやらドンキやらある地域に行こうと銀座線の田原町駅で降りたのだが、方向を間違えて上野方面に歩いてしまい、雨も強くなったので歩いて戻る気もしなく仕方なく稲荷町田原町の一駅区間の地下鉄に乗る羽目になった。どうも田原町の地下鉄出口にある地図が横にあるものと上にあるもので現在地とか書いてあるのに示している方向が違うようなのである。あれは問題だろ、別にそのせいで間違った訳ではないが。

私はメンヘラでは全くないので、日によって気分が違うとか理由もなく落ち込んでしまうとか虚無感に陥るとか、また機嫌が悪いという事もないのだが、ただ日々のやる気の移り変わりが異常なのである。それでまあブログを書いたり書かなかったり、こんなふうに適当に書いたりしているのだが、……まあメンヘラではないのである。

Youtubeネクスコ東日本東京湾アクアライン(海ほたる)のアニメを見ていた。ネクスコ東日本のアニメは外環道のアニメがあるのだが、この海ほたるの方の作が気に入ってしまい、マジで泣いた。くっそヒロインかわいいな、いやこれは名作だ。短編アニメーションでうまくストーリーを作り広報としての役割も抑えている、たとえば建設に携わったおじいさんを出演させたりと、あと演出も優れていると思う、2話でヒロインに一度後ろを向かせたりするところとか。俺は感傷的なところがあって、というより最近はそうなってしまい、変なところで涙が出てしまうのだ。最近もデニーズで母子を見ていたらそれで泣けてきた。俺は創作におけるアンチセンチメンタリズムということもあってアニメとか泣きゲーとか映画ではほとんど泣いたりしないのだが、こういった作品には本当に心を動かされてしまう。ヒロインかわいいなあと思いながら繰り返し視聴してしまった。ネクスコ東日本はこういったアニメを作るからには海ほたるに行けば出会いがあると約束してくれるんでしょうな。

とりあえずふと考えたことを排泄しなくなるのでこんなふうにたまに文章を書いてしまうのだが、思ったことの半分も書けない、書こうと思えば書ける思うけど全部書いていたら疲れるので適当にキーボードを打ったら切り上げている。

先のアニメでこんなものを作るなんて人間ってすごいなとヒロインが言うのだがそういえば沼津に行って水門の「びゅうお」に上ったのだが(ラブライブサンシャインにも出てくるやつ)、人間がこんなものを作ったことの恐怖を感じた。展望台の窓が開くようになっているのも少し怖かった(留め具があって3センチくらいしか開かないようになっているのだが、それを外してしまえば全開にできる)。沼津狩野川のの花火に行きたかったのだが、それも台風で駄目になってしまった。ラブライブサンシャインが始まる前に沼津内浦は行ったことがあるというか通ったのだが、やはり内浦はいいところだな。

(2018/07/26)

ブログを公開したり非公開にしたりしろ。

今はツイッターのみならずはてなブログの購読ブログさえチェックしなくなってしまった。申し訳ないようであるが全く他のブログを読んでいない状態なのである。
今はちょっと立て込んでいるというか、ちょっと色々あって、といってもやはり特に何もないのだが、元々他の人のことに興味がない?という訳ではないが、友人でも一年に一回近況が聞ければいいというか、毎日のように人の動向を知らなくてもいいというか、というか人のことをいちいち真剣にというほどではないが過剰に受け止めてしまって、それでもうキャパシティがいっぱいになってしまうようなところがあって、そうすると自分自身のことが全然手に付かなくなってしまうので、やっぱりツイッターは苦手なのだった。
それで今は他のことをやりたいというか、自分のことをやりたいので、それはいつものことなのだが、そんな感じである。

みんたむとは今までに(マンコマンとともに)二回会った。そのときは泊めてもらっているのだが、人の家に泊まったあと朝顔を合わせるのが恥ずかしいので朝方か深夜のうちに勝手に帰ることにしている。

バイクで静岡と浜松に行った。三保の松原は想像以上によかった。松林から海岸の方に歩いていくと何かしら神話的風景というべきものが広がっていたのである。あれは世界遺産になるわ。

村上春樹再読は今読んでいるねじまき鳥クロニクルを持って終了である。しかしこれが、長いうえにやはりつまらないのである。読むのは一度でいいな、これは。
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」一番初めに読んだ村上春樹の小説で、これはずっと評価していたのだが、再読したところハードボイルドワンダーランドのパートが長いというか余計な描写に感じるところが多々あり、評価は下がってしまった。ということで今のところ私の村上春樹の最高作は多崎つくるになっている。

知り合いの女の人(美冬)が好きな小説ということで、それにホラーとミステリの融合がコンセプトの小説ということもあって、ずっと読み通したいと思っている刀城言耶シリーズの「厭魅の如き憑くもの」を借りているが、やたら文体に凝っていてそれに人物関係も複雑なようで更に長いので、読み通せるのかなこれは。

(2018/6/10)

カラマーゾフの兄弟はまた最後まで読めなかった。読むのを止めたのは最初に読んだ時とまたしても同じ個所、3巻のアリョーシャが僧院に帰ったあとだ。ここで読めなくなってしまう理由ははっきりしてる、ここまでほぼアリョーシャを主人公としたRPG(ゲームの)だったのが場面がかわり、ミーチャの場面に映ってしまうのだ。ミーチャの章はこれから長いだろう、そうなったらもうどうやっても集中力は続かない、こんな物語はもうどうだっていいやとなる。
俺には生涯かかってもカラマーゾフの兄弟を読み通すことはできないのだ、別にいい、どうせ大審問官のあとは大したことなんて書いてありゃしない、これが世界文学の最高峰とか、人間の魂の深淵を抉り出したとか言われても俺は絶対信じないからな。別に難解な話でもない、ただ長いだけだ。長くて冗長なものを難解とは言わない。
俺は金を借りただの返しただのの話に人間や世界の深淵さが表現されるなんてことは絶対に信じないからな、そう思いたければ思えばいい、文学派の方々はこいつは文学がわからない奴だとか言うんだろうが、しかいいつも思うのだが古典文学の長さとエロゲの長さは全く同じようなもので、俺にとってはひたすら苦痛なものなんだ。そんなところに世界の深淵さがあってたまるか、俺にとっての敵は難解さではなく、長さと冗長さなんだ。文学も芸術も、一か所たりとも無駄な部分がなくて、足らないところもない、そうであって欲しいんだ、これは俺の信仰であり、美学の問題なんだ。だから俺は音楽が芸術の理想の姿なんだって何回も言ってる、これからも言ってやる、ただ心の中で繰り返すだけだが。優れた音楽が寸分違わず完璧であることを、一体誰が、理性ある人間が疑ったりするだろうか? しかし説明するのは少々難しい。くそっ、こんなところでくだを巻いていても仕方ない、早くもっとましなところへ行きたい。

ツタヤプレミアムは退会し、ツタヤディスカスに登録した。「乃梨子の場合」「わたしを離さないで(映画版)」を借りた。そういえばサミュエル・ベケットの「名づけえぬもの」この本も何度も読みかけてはやめているのだが、安藤元雄の酔っぱらいの語らいのような翻訳が悪いと思ったのものの、それも悪くないような気もしてきた。

(2018/6/1)

1日ということで映画を観に行った。見たのはピーターラビットである。なかなか、だろうか。まあ如何にも英国のコメディ映画という感じではある、と思ったらアメリカ合衆国・オーストラリア・イギリスの合作らしい。前から思っていたが映画の合作ってなんなんや? あと元々絵本のピーターラビットってこんな話なのだったっけ? まあかなり脚色はされていると思うが。少し感想を言うともうちょっとトーマスの見せ場があってもよいと思った。やはりウサギたちよりも人間のトーマスが魅力的なキャラだと思うんだよな。

スーパー銭湯に行ったら漫画がおいてあって、「響 小説家になる方法」という漫画を読んでみた。内容はまあ文芸漫画と見せかけたヤンキー漫画のようなものなので、ワナビーが小説家になるために奮闘するといった真面目な内容を期待してはいけない。amazonレビューでの低評価はやはり期待したものと違うとそうなるのだろう。しかしなかなか面白く6巻くらいまで読んだが、その後はまあいいかなという感じである。文芸に関するあれこれの話は最初よりさらに少なくなったし、モブみたいなキャラが増えてリカの出番は少なくなってしまった。このリカという子はギャルといった感じで、とても可愛いかったのだが……

で、純文である。純文学といったジャンルのあれこれについてはそれなりに言いたいことがあるが長くなるのでここでは書かない。(ではいつ書くのだという話だが……)まあ最近の芥川賞のいくつかは面白い「苦役列車」「火花」「コンビニ人間」といった感じだろうか。これらの小説には皆ユーモアが見られるからかもしれない。芥川賞受賞の「ブエノスアイレス午前零時」はあんまり面白くはなさそうだがこの藤沢周の書いた「箱崎ジャンクション」はとても好きなんだよね。タクシー運転手の話だがそれも車が出てきて首都高を舞台としているので単に自分に合っているからかもしれないが。
図書館に行ってなんか純文とされるものを読みたくなったので探したが、純文というか単に昔の小説だが谷崎とか志賀直哉とかはもういいかな……谷崎は春琴抄だけ読んだくらいで長いのは読んでないが、まあ痴人の愛とかあれは当時のラノベみたいなものだろう。
まあ昔の小説家の中では川端が一番面白いよね。「伊豆の踊子」「雪国」「眠れる美女」「みずうみ」「たんぽぽ」等。川端の後期のものは異様な作風になり、「たんぽぽ」は”気違い病院”の話なのだが(作中でそう表記される)これがまあ幻想的な話なんである。どうやら未完らしいが。あと「美しさと哀しみと」はなんか変な話で「噛んで」とかいう台詞があって確か着物の帯を噛んだんだかなんなんだか川端の趣味全開やなあと思った。

とにかく図書館で本をぱらぱらとめくっていたらどうにも文字に入り込めないような感覚がある、こうやってほとんど何も考えずに自分で文章を垂れ流すことはできるんだが。なので村上春樹の最近のものはだいたい読み直したが前半の小説も読み直すかということで文庫で「世界の終り~」を借りた。それにしてもいつも思うのだけど小説というものはとにかく数百ページをなんらかのテキストで埋めなければならないはずだが、とにかくフィクションに入り込むのが苦手な私はその小説がどんなことでテキストを埋めているかが気になるというか、それがわかればもうその後は読む気力を失ってしまうことが結構ある。この小説はこういった文体まで最後までいって終わるんだろうな、ということがわかればもうそれでよくなってしまうというか。「コインロッカーベイビーズ」も途中まで読んでだいたい何が書いてあるかわかったからあとはもういいというか。「インザミソスープ」は最後まで読んだがあれは面白い。第二章だったかよくあんな文章でよく書いたなあという感じである。あと村上龍で最後まで読んだのは「共生虫」とか「希望の国エクソダス」とかやな。

とにかく何が言いたいのかというと俺はなにで持って小説のテキストを埋めたらいいのかがわからない。やっぱり人間的なあれこれに興味がないんやろうなあ。自分にとっては風景があればいいというか、それでドイツロマン派の画家のC.D.フリードリヒなんかが好きなんだろうなと。フリードリヒの絵に描かれた人間は風景の一部となっていて、人間をメインには描いてはいないのである。あのロマン派的な感覚はよくわかるというか、絵の中に情感が描かれているように感じる。あとやっぱりシュルレアリスム絵画は面白い、レメディオス・バロレオノーラ・キャリントンフリーダ・カーロレオノール・フィニ、イブ・タンギーという名前を最近知った。いやシュルレアリスムの影響を自称するなら知っておけという話だが……にわかであることがばれてしまう。マルドロールの歌も全部読んでないしな。……こんなふうにオートマティスムに書いていると話がどんどん脱線していってしまう。

つづき(2018/5/27)

音楽を聴きながら(魔神転生2)得にすることがないので続きを書く。えっとマジェスティのタイヤを換えたけど、今回は全部自分でやってみようと思いビードブレーカーなんてものを購入し、それを使ってタイヤのビードを落とし、だがタイヤを外す最後の段階になってホイールがタイヤから外れない。タイヤ保護剤を吹き付けろなんて書いてあったからそうしたのだがリムの部分が硬いしタイヤが曲がらない。仕方ないので最後は力業でタイヤを破壊することにし電動ノコギリで切断しようとしたのだが、ビードワイヤーの部分は硬く、ニッパーを入れようとしたがそこまで入らないし切れない。鋼鉄カッターを買おうとしたが母親がバイク屋に持っていったほうがいいとか言うし自分も今回はあきらめてそうしたほうがいかなと思ったのでそうした。だがバイク屋でタイヤを付け替えてもらったのはいいのだがタイヤのエアバルブも換えてもらっていて、それは今回L型のバルブにしたのだがそしていざバイク車体にタイヤを取り付けて走ってみたところシャカシャシャシャカシャカと音がする。なんだこれはと思ったがここが私の悪いところでまあいいだろうと思い走っていてそしてガソリンスタンドでタイヤに空気を入れようとしたところエアバルブのふたがとれていた。そして空気入れでやっても空気を入れることができない。
ここまで書いたところでつかれてきた。これを事細かに書く意味があるのだろうか。簡単に言うと新品のエアバルをL字型のものを装着したためバルブとバイク車体が接触してエアバルブが破壊されていた。なので命からがら家に帰りタイヤビードが落ちてしまったためまた苦労してタイヤを車体から外す羽目になった(だいぶはしょった)。さすがに二回目の作業は慣れていたのでそれほど時間はかからなかったが。
で今度こそミシュランの新品タイヤになったら今日はプチツーリングというかただ気ままに山とかを走ってラーメンを食べて帰ってきた。とにかく新品のタイヤは気持ちがよく本当はもっと早く交換すべきであった。とにかく走り心地にそれに加速も、またグリップ力が違いすぎる。ミシュランは神。

そういえば今日はとても変な夢を見た。VRのゲームのような夢だった。覚えていたいが、文章にできるほどにはほとんど思い出せない。

何が書きたいかというととにかく重要なのは、志気を上げるためやはりオートバイは最っ高!という心境になっていかないといつまでたっても我が家のジャンクカブが片付かない。ことである。できれば5万円くらいで人にゆずりたい。ということを考えながら今日は走っていた。

情報を共有するためにもバイクブログを作ったほうがいいのだろうが……

伊豆でタイヤをバーストさせた出来事(2018/5/27)

オートバイ(マジェスティ4D9)のリアタイヤの交換をした。というのは雨が降った日に走ったら金属の破片を踏んでしまったらしく、次の日にはリアタイクがパンクして空気がなくなっていた。ちょうどいい機会なのでそのままタイヤを交換することにした。かなりすり減っていたから、ちょうどいいタイミングではあった。
いつもだいたい自分でホイールをバイク車体から外し、ホイールに新しいタイヤを付けるのはバイク屋にお願いするという方法をとっている。バイクの車体からタイヤホイールを外すのは車とは違ってマフラーやスイングアーム等を外す必要があり、少々手間がかかるのだが、工賃を浮かせるためにも自分でやっている。マジェスティ4D9のリアタイヤを自分で外すのは初めて。前の交換のときは伊豆に行ったとき使い込んだタイヤで走っていて、伊豆の秘境の地である千畳敷に行ってから夕方帰ろうとすると、なんとリアタイヤにカーカスが見えていたのだった。カーカスというのはタイヤのゴムの中に入っている部分で、これがむき出しに見えてしまったらもうやばい。本当はそうなる前にとっくに交換するべきなのだが、言い訳をするとタイヤの溝パターンがタイヤがすり減ったことがどうもわかりにくいパターンであったため、気づかなかったのであった。いや乗り心地でとっくに気づいていてもよさそうなものだが。それで伊豆の南の端から北上したのだが、土肥から峠のトンネルを抜け修善寺のほうに向かうときついにパンと破裂音がしてついにタイヤはバーストしたのだった。さすがにもうやばいことがわかっていたので、かなりゆっくり走っていた。これが全開走行などしていたらタイヤがロックして操縦不能になり伊豆の海にまっさかさまに落ちてしまっても不思議ではなかったのである。あぶないあぶない。
さて換えのタイヤのある店を探さなければならず、東静岡2りんかんに電話をしてみたら4D9用のタイヤがあるということでここに向かうことにした。任意保険のサービスで無料のレッカーサービスが使えるのだが、確か走行キロ30km以上は有料になりかなり料金をとられてしまうので、だいたい東静岡2りんかんから30kmくらいの地点である沼津の千本浜公園に向かった。パンクしたタイヤで走るとホイールに傷がついて使えなくなってしまうということがネットに書いてあったので、ズムズムズムズムという音をたてながらつぶれたタイヤでゆっくりと走った。深夜になっていたと思うが千本浜公園につくとバイクを止め、たしか何故だか歩いてコンビニに向かった気がする。それからロードサービスに電話をしたが、さすがに2りんかんはもう営業していないので明日の朝に来てもらうことにした。時間の予約はできないということでまた電話してくれと言われたので、そうすることにして公園で眠ることにした。適当に物陰になっているところで寝たのだがとにかく体がかゆかった。
けっこう朝早く目が覚めたので沼津港にある魚市場食堂街に歩いていって時間をつぶしていた。何か食べたかったのだが朝早かったのでほとんどの店がやっていない、のであきらめた。そしてまたロードサービスに電話をして今度は来てもらうことにしたのだが、朝の時間帯だったためか結構時間がかかってしまったらしく、夜に運んでもらったほうがよかったなかなあと思った(夜に移動してもらって2りんかん近くのガストで夜を明かすことも考えたのだったが……)。サービスに来てくれた人はけっこういい人で、こういったサービスは保険会社の委託なので地元の民間の企業の人が来るのだが、なんという会社か忘れてしまった。高速道路を使うとその料金がかかってしまうということで少し渋滞はしていたものの下道を行ってくれた。2りんかんには開店の朝10時に着くように計算して電話していて、ちょうどその時間に着いたが、距離のほうは無料の30キロを少しオーバーしてしまって確か千五百円くらい払ったが、こんなふうにピンチな状況を救ってもらえるならそのくらいは喜んで出しますといった感じである。
東静岡2りんかんは一階がイエローハット、二階が2りんかんになっている店舗であった。タイヤ本体にブレーキキャリパーも減っていたのでそれも交換することにし、あとブレーキフルードも交換、工賃をあわせて確か1万五千円くらいだったが、意外と安いなと思った(場所によってはもっと取られそうである)。またこの2りんかんの整備士の人がいい人で、神奈川の2りんかん数店舗に出したときはまあ整備士の態度がよくなかったので、この東静岡の人には今も感謝している。
さて本当は今回リアタイヤを交換してちょっとトラブルがあった出来事を書く予定だったのだが、どうでもよくなってきた。