真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2022/02/11)

改めて村上春樹の『女のいない男たち』を図書館で借りドライブ・マイ・カーをちゃんと読んだところ先日書いたことが不十分であったので、また少し補足したい。とはいえいつもの通り私は批評的に詳しく説明するのが苦手で、疲れるので簡潔に終わらせるので、結局よくわからないところが残るかもしれない。(質問等あればできるだけきちんと回答したい)
私には、原作におけるみさきの最後の行為は「癒し」を行っているようには思われなかった。前は私もよく読まずに書いてしまったのだが、最後のみさきの言葉は女の人一般に留まる話ではなかった。最後のみさきの台詞、奥さんはその人に心なんか惹かれていなかった、女の人にはそういったところがあると言うが、大事なのはその先の「そういうのって、病のようなものなんです」から続く台詞で、確かにここはややもすると、人生には仕方がないことがあるといった程度の意味合いの、みさきが家福に慰めをもたらしているように読めてしまうかもしれない。だがそうではなく、ここでみさきがやっていることは、宣託なのである。みさきは家福の「盲点」に対し、それはこういった理由であるとお告げ、解答を出しているのだ。つまりオイディプス王における宣託と同様に、それは運命のごときもので、人間にとっては宿命として変えがたいものである、と。オイディプス王は最後に自分の目を突くのだが、みさきは逆に、事後的に禍福の目を開かせている。だがそこまでは言い切れないかもしれない。だがまさに、一体謎とはなんであるかを示し、秘密が示唆されているのだ。村上春樹は最後のところ数行ではあるが、非常にうまく書いている。さらには先の部分、演技することについて書かれているが、ここにも生一般の演技すること以上の洞察が表れている。今回映画のドライブマイカーをきっかけに原作をそれなりに熟読してみて、これは大変優れた短編であると思った次第である。あまり普段小説の熟読はしないけど、いい機会になった。(まだまだ説明不足で単に私が一人で納得しているだけのようだが、ここらへんで終わりにしたい)