真人間を目指すためのログ

その日したこと、観たもの、読んだもの等の記録

(2022/09/16)

さて、"鈍意"作成中である私の次のノベルゲームだが完成するのだろうか。もちろんゲームというのは便宜上そう言っているだけであって、実際にはゲームではない。PCでやる電子上のノベルである。いわゆる選択肢は一つもない。1stノベルゲーもなかったがリメイクされるなら付けてまったく別の作にするつもりだが、今回のものはやはり付けない。シナリオのテキストファイルを見ると作り始めたのが2011年になっている。10年以上も完成できずに放置したわけだ。断片的に書かれたテキストを読んでみると、その理由はわかる……。画面サイズはもちろん4:3。今のゲームはすべて16:9だが、そもそも絵に描かれるキャラクターは3人だけで(メインヒロインは1人)、だだっぴろい横長の画面に意味なし。今4:3の画面を見ると古臭さを感じると思うけど。

しかし自分で作っているとエロゲやノベルゲーといったものが一時期少しは注目されたがその後衰退したのもやむなしという感じがする。……面白くないのである。とにかく「ダベリ」が多すぎるのだ。おしゃべりシーンが多い。何時間もおしゃべりシーンを見せられる、それでクリアしても印象に残っているシーンは少なく、ファスト映画だとかの時代に受けるはずがない。二次元キャラとの仮想コミュニケーションを期待する向きにはVチューバーなどのほうがよほどリアルでいいはずだし、ストーリーを求めるならラノベライト文芸と呼ばれるもののほうがずっとお手軽でいいのだろう。……あんなんが生き残れるはずがなかった。しかし作っているとダベリがどうしても多くなるのはこのメディアの構造的な問題で、致し方ない部分が多々あるというのがよくわかるのである。映画のように時間を切断してカットを切り替えるのに向いてなく、一人称視点によるリアルな時間の持続を演出させなければならない。どうしてもモノローグかダイアローグを長々と垂れ流す必要がある。おそらく、作中でたとえば春から冬まで一年間の物語を通してやるというような作品は、あまり例がないのではないか。上記の理由から、それは向いていない。私はまさにそれをやろうとしているのだが、やはり困難で完成させずに放置した理由でもある。

だがノベルゲーはシナリオの面白さによって感情移入をさせることができれば、没入感と熱中度は大変大きいものになる。『沙耶の歌』はプレイ時間も短くもっとも成功した例で、理想といえる作品だ。とはいえそのような作品はやはり少ない。なんとか風穴を開けることはできないのだろうか。